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あの蒼い夏に〜チラシづくりの青春・39〜
                   

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 佐里君は僕への手紙を出し終えた後、自殺を図ったのだ。僕は茫然としながら、読み終えたばかりの分厚い便せんの束を封筒に戻した。誰なのかはよく分らないが、手紙の内容からは佐里君をそこまで追い詰めた人間の存在がはっきりと分る。とにかく、自殺が未遂に終わっていたのがせめてもの救いだった。
 食い込めそうな弱い部分を探し当てようと卑怯な目を光らせながら、白くて柔らかい佐里君を見つめていた怪物。防ぐ術を持たない無垢な心に襲いかかったその怪物を僕は許せなかった。手紙の文面からは、その男の立場が彼より上の人間だということだけは読み取れるが、それ以上詳しくは判らない。本当に卑怯な奴だ。
 頭の芯は数杯のウィスキーですでにしびれ始めていたが、怒りだけは勢いを失いそうもなかった。僕は叫び出しそうになる自分を必死で堪えた。「ある人」って、一体誰なんだ? 死の覚悟をもってしても、尚もその名を明かすことを拒んだ佐里君。
 佐里君、僕はどうすれば良いのだろう?仮に、僕がその怪物を探し出せても、果たして佐里君は喜んでくれるのだろうか。このままそっと静かにしていることを望んでいるのかもしれない。ただ単に犯人を暴くためにフィリップ・マーロウを登場させれば良いという訳でもなさそうだ。 
 ワタリ係長の「あの子のためにもこの話はなかったことにしてくれ』という言葉が午前中の記憶から聞こえてくる。頭の中の悪魔が囁きかけて来た。「止めときな、面倒なだけだ。何遍言ったら分るんだ」僕の迷いは勢いをなくしながらも、回転木馬のようにいつまでも揺れながら回り続けていた。

 河村さんはコピーライターなのに言葉ではなくて、心で伝えようとしますね、と書いていた佐里君の手紙。文字や言葉を操るプロとしてはいただけない評価だが、それでも想いが伝わっていたことのほうがとても嬉しかった。僕はグラスに残った最後のウイスキーを流し込んだ後、ゆっくりと立ち上がった。そしてシャワーを浴びた。
 午前三時の静寂の中、犬の鳴き声が深夜の闇を切り裂く。その遠吠えは、膠着状況を打破するための強い意志を持った監督のサインに思えた。しかし僕の頭は送りバントを失敗した2番打者のように混乱したままだ。麻痺が判断を試みようとする意思を急速に飲み込んでいく。もう誰のサインにも応じられない。僕は弱いため息をつきながら、濡れたままの髪の毛でベッドに大の字になって目を閉じた。
 もう一週間もすればお盆になる。帰省の時季だ。かすみは福岡、笠木君は大分、三ツ谷さんは長崎、竹田さんは滋賀とそれぞれの故郷がある。そして佐里君は病院のベッドの上かもしれないが、すでに実家のある町に帰っている。
 今夜、最後の責任感が僕を確かめに来た。ワタリ係長の声を無視して、佐里君に会いに行くべきだろうか? しかし、僕には佐里君の実家がどこかも分らない。
 僕は自分が拾ってきて育て、実家に住み着いている「しぶ」という猫を想った。元気にしてるかい?茶トラの丸い大きな顔が現れ、笑っている。ニャーン。やっぱり、家に帰ろう。

 僕は佐里君の実家の住所か電話番号を教えてもらおうと、盆休みに入る前に一度だけ、最後の迷いを振り切るようにステップ写植に電話を入れた。しかし、守秘義務があるので、会社を辞めた人間のことを、得意先とはいえ勝手には教えられないと拒まれた。守秘義務という言葉を初めて耳にした僕は、面白くない違和感を覚えた。
 諦められなくて、市内の電話番号を電話帳で調べたが無駄だった。どこにも佐里という名字が掲載されていなかった。手当り次第に九州中の市外番号案内で調べれば良かったのかもしれないが、すでに気力はそこで切れてしまっていた。

 盆休みが終わって2、3日過ぎた頃、竹田さんの退社情報を笠木君が教えてくれた。僕達同期生三人は昼食時の喫茶店にいた。
「竹田さんはお父さんの具合が急に悪くなって、家を継ぐために帰るんだって。河村、知ってた?」
 僕はそのことについては飲みながらだったが、本人から直接聞いていたので特に驚くこともなかった。ああ、と頷く僕に向かって「それから、ステップ写植さんに"うち担当"の新しい人が入ったんだってよ」と付け加えた。
 ウェィトレスの気配を敏感に捉えた笠木君は、さっと手を挙げて呼び止めた。笠木君は僕達を気にして、視線を大好きなウェィトレスの豊かな胸から意識的に外している。不必要な笑みをたたえながら、3人分の注文を口にした。いつものように、クリスチナ・リンドバークはオーダーを復唱すると、「いつもありがとうございます」と、艶かしい笑顔を返して、よく引き締まった腰を優雅に振りながらカウンターに消えた。
「しかし、よくも飽きないでトルコライスばかり食えるね」と僕は呆れながら言った。キヨシ君と僕は久しぶりのトルコライスだった。
「笠木さんはなんでも一途ですからね」と、キヨシ君は視線をカウンターの美女に向けた。僕もフフッと笑ってしまった。
 すぐに注文したランチは出来上がってきた。クリスチナ・リンドバークが持ってきたトルコライスのうち、一番大きなトンカツが乗っている皿が笠木君の前に置かれた。
「大きすぎない?そのトンカツ」と僕は目を見開いた。
「笠木さん、クリスチナに心が通じてますよ。きっと」とキヨシ君が言うと、「そんなん、ある訳ないやろ。単なる三分の一の確立。たまたまやん」と笠木君は一番大きなトンカツにも相好を崩すことはなかった。気持ちを無理に抑えているのが分る。言葉の裏には嬉しさが透けて見える。
「ふん、嬉しいくせに」と僕は隣の笠木君の肘をつねった。
「でも、藤木女史は悲しむでしょうね?」とキヨシ君が一歩踏み込んだ。
「あの子とはなんにもないんやから、悲しむ訳ないやろ」と笠木君は鼻孔を広げてキヨシ君の言葉をすぐに否定した。
「客観的に見ても見なくても、表面的には藤木女史とクリスチナでは勝負にならないよね。ただ、慈愛に富む笠木君の『美に対する価値観』は時々僕らの理解を超えることがあるし。クリスチナが負けることだってあり得る」と僕は茶化し気味に言った。
「そうそう、笠木さんの審美眼もけっこう怪しい時がありますよね。藤木女史が選ばれる可能性だって否定できないかも」
 キヨシ君の言葉に笠木君は即応した。
「どうだっていいやん、俺のことなんか。藤木女史とかクリスチナとか、いい加減にしてくれん」
「ムキになるところが怪しいな〜? そろそろ、藤木女史が結婚退社させて下さいとか言い出すんじゃないのかな。誰かとの社内結婚ということで」と僕はニヤニヤしながら言った。
「笠木さん、結婚祝いは何が良いですか?」とキヨシ君が真面目な顔を作って質問した。
 その瞬間、タイトスカートに包まれたカタチの良いヒップをくねらし、とても良い香りをまき散らしながら、僕達のテーブルの横をクリスチナは通り抜けた。
 僕達はその後ろ姿に息を飲んだ後、三人でため息をついた。
「それより、竹田さんがいなくなったら寂しくなるよね」と笠木君は無理矢理話題を変えてしまった。「仕事、沢山抱えていたし、その仕事、誰が引き継ぐんやろう?」
 笠木君のその疑問に僕達の肝は一気に冷えてしまった。みんな自己能力を超えそうな仕事量をたっぷりと抱えていたからだ。誰かがその仕事をしなくてはならないが、竹田さんの仕事を引き継げるほどの余裕など、誰にもあるはずがない。一気に憂鬱が三人のテーブルを支配し始めた。僕達はまた溜息をついた。クリスチーナの後ろ姿を見た後よりさらに深く。




 翌日午後、三ツ谷さんと僕はワタリ係長から商談室に呼ばれた。ステップ写植の社長が新しく補填した写植オペレーターを連れてきたので、紹介したいということだった。
 社長はその若いオペレーターの経歴を簡単に紹介して、これから一生懸命頑張るので他の社員同様よろしくお願いします、と汗を拭きながら頭を下げた。紹介された若いオペレーターも慌ててピョコリと頭を下げた。
「この子は前の会社ではページものや編集ものの仕事が多かったので、チラシの経験は多いとは言えませんが、作品を見るとセンスも良いのできっと優秀な戦力になってくれると思います。前の子はちょっと神経質すぎたけど、今度は人当たりも良いし、大丈夫ですわ」と、社長は小太りの腹を突き出すようにして自信を示した。

 三ツ谷さんと僕は、こちらこそよろしくお願いしますと二人に頭を下げた。顔を上げた時、僕は今日はじめて見るその若いオペレータの顔が白いことに気付いた。よく見ると佐里君ほどまではなかったが、かなりの色白だった。藤木女史が運んできたコーヒーのカップを持つ彼の指は細かった。
 男らしさを感じさせない可愛いタイプの男だな、と思った瞬間、僕の脳の中心部に強い警戒信号が走った。これは佐里君が手紙の中で書いていた「あの人」の嗜好に合致する。怪物が好む容姿そのものだった。佐里君との共通点がはっきりしている。僕は興奮する心を抑えながら社長に訊ねた。
「余計なことかもしれませんが、社長、入社の面接をされるのは誰ですか?」
「会社のことで専務や部長に任せていることはイロイロありますが、人選びだけはやっぱり任せられません。河村さんもご存知のように、写植会社は人とその技術でもっているわけですし、もちろんうちも人選は社長である私が責任を持ってやっています」
「ずっとですか?」と僕は間髪を入れずに訊いた。
「そうですね、この三年ほど前からですか。兄から会社を引き継いで、その後私一人で選んでいます。けっこう最近の若い人は苦労を知らない我がままな人が多いので、結構大変ですわ」と社長は大変さを強調した。
「そういえば、最近のステップさんは大人しい人が増えましたね」と三ツ谷さんが言った。
「よく出来た子を探すのは難しいけど、私は見る目だけには自信があるので、その点に関しては大丈夫ですわ。この仕事は大人しくて責任感の強い子でないと務まりませんから、まあ、そのへんを見抜くのは大変ですが、この子は絶対に大丈夫ですわ」
 社長はそう言いながら新人オペレーターの白い顔と首筋を満足そうに目を細めながら眺めた。

 その瞬間、湧き起こった確信が一気にアドレナリンを呼び、激情へのスイッチが入った。怪物はこいつだ。
「白いというのも判断基準でしょ」と言うや否や、僕は椅子を後ろに跳ね飛ばし、テーブル向こうの社長の胸ぐらを掴んで、思いっきり突き飛ばした。
 あっけにとられた社長は僕の手首を掴むことも出来ずに、後頭部を後ろの壁にぶつけ、鈍い音を立てて倒れた。

 三ツ谷さんの手が僕の肩を掴んでいる。社長以外はいきなりの出来事に驚き、椅子から立ち上がっていた。社長がぶつかった余韻で、壁にかかっているモジリアニの額縁が揺れている。我に返った僕に、社長は一気に口を震わせながら言った。
「なんや、あんたは。理由もないのに暴力をふるいおって。得意先やから、何をしても良いんですか? 許しませんで、こんなこと」「そうでしょ、係長」と言いながら社長はワタリ係長にもキッと視線を向けた。僕は作った拳をいつまでも緩めることが出来なかった。
# by hosokawatry | 2012-01-06 14:41 | ブログ小説・あの蒼い夏に
あの蒼い夏に〜チラシづくりの青春・38〜
                    


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 時には、楽しそうな友達同士はいいなと思いました。心を通わせることが大切な事くらいは僕にだって分っていましたから。だけど、そんな大切な友情のようなものでも、白い恐竜と天秤にかけてみると答えはいつも一緒でした。必ず選択するのは周囲との拒絶のほう。大切なことは絶対に白い恐竜と争わないことです。
 高校に通い始めてからも孤独でした。それからずっと同じです。河村さんから電話をもらうまで、本当にずっと。
 独りは淋しくはあるけれど、慣れてしまえば案外こちらのモノです。逆に交友関係のもつれがないだけ気楽だともいえます。最初から外れているわけですから、仲間はずれの心配などは絶対にありません。

 僕は空想の世界で遊ぶのが好きになりました。一人で本を読み、膨らんだ夢と遊び、密やかな自我の悦びに浸りました。ものの見事に「文字のある世界」に引き込まれたのです。
 コピーライターの河村さんのように、キャッチフレーズや広告の文案を考えることも好きでしたが、広告作りは自分だけの世界に閉じこもっていては出来ない事を知り、断念せざるを得ませんでした。
 簡単な打ち合わせを除けば、ほとんど誰にも言葉を交わさずとも文字に触れることが出来る仕事が「写植打ち」です。それは僕にとっては文字だけに囲まれた、贅沢な空間。けっして自分が好きな文章だけを打つことなど望めないけれど、それでもその職業は神様が僕に用意してくれたたったひとつの道だったように思えました。僕は親が進める大学への道を拒み、写植学校に進みました。

 もちろん写植の学校でも、特に仲の良い友達はできませんでした。そして、勤めていたステップ写植でも、ご存知のようにほとんど独りでした。ある時、間違えてはいけない重要な文字を打ち間違え、ミスプリントを起こしてしまいました。河村さんの会社の物件ではありませんでしたが、得意先から猛烈に怒られました。もちろん社長からもきつく注意を受けました。
 得意先からの意向もあり、その仕事の担当から外されました。僕は他人と仲良くなることへの自信はゼロですが、写植の仕事にだけは少なからず自負心がありました。だから僕にとっての仕事の失敗はその分だけ落ち込みも強烈でした。
 その後すぐに河村さんの会社の担当になりましたが、やはり集中できずに誤植が続き、叱責されることもたびたびでした。
 かろうじて僕を支えてくれていた「仕事にだけは自信があった」という最後の砦も崩壊寸前まで追い詰められたのです。誰にも相談できない毎日。身を固くしたまま、孤独に震え続け、遂には慣れていたはずの「独り」にも、耐えきれなくなりました。

 写植学校時代の仲間にマリファナを勧められて吸ったり、酒を沢山飲んだのもその時です。河村さんの電話の少し前のことです。全部ではありませんが、河村さんには話をしたことがありましたね。結局、彼らとの関係は長続きはしませんでした。そういう仲間と長続きしなかったことは逆に良いことだったわけですが、仲間との友人関係を保てない、自分の社会人としての未熟さを同時に思い知らされたわけです。

 薄暗いバーでは自分の顔の色も白くは見えないし、なぜか妙に落ち着きました。アルコールで陽気になることもできるし、お酒自体は全く嫌いじゃありません。アルコール度の強いズブロッカなども大好きです。昨年末の会社忘年会でそのことが知られてしまい、今年に入って会社のある人から飲みに行かないかと誘いを受けるようになりました。
 君は社会に対する適応能力が欠けていると、その人は指摘しました。特に協調能力はとても大事で、これから社会で生きていくためには必要不可欠なものだ、と教えてくれました。
 2回目に飲みにいった時も、アルコールが入った状況であったにしろ、年配者の経験に基づく話は僕をしっかりと頷かせました。きっとウィスキーソーダが美味しかったのでしょう。勧められるままに何杯も飲みました。

 僕は意識をなくし、バーからそのままその人に連れて行かれたのでしょう。記憶のない1〜2時間の後、奇妙な違和感が僕を目覚めさせました。これまでには味わった事のない感覚です。恐る恐る薄目を開けて現実をたぐり寄せると、僕たちはベッドの上で、その人の手は僕の肩を抱いていました。
 同性と一緒にベッドの上にいる自分。人には絶対に知られたくない行為です。早くその場から逃げ出さなくてはいけないと思いながらも、何故かそのままでいたいという不思議な感覚がそれを邪魔しました。僕の肩をしっかりと握りしめてくれている手の温もりと体内に居座るアルコールが、判断を鈍らせたのだと思います。
 そこに至る事情や理由はどうであれ、とにかく孤独だった心が解きほぐれていくようで、僕はその心地よさを確かに一度は受け入れました。ただし、それは一回限りのことで、望まない事故のようなものだったと、無理矢理自分を納得させました。

 しかし、その人はすぐに次を要求してきました。誤植や失敗で迷惑を繰り返すたびに「大丈夫、ワシが何とかする。心配しなくてもいいから」と誘いをかけてきました。誘いを断ると、「あまり言いたくはないけど、君はもう会社に必要じゃないかもな。会社に何度も迷惑をかけてるし、それに協調能力もないし」と、しつこく酒とホテルを強要しました。
 どうしても好きな仕事を奪われたくなかったので、二、三度付き合いましたが、さすがにそれ以上は許せませんでした。その人から夜のアパートに電話がよくかかってきました。「得意先の接待は終わったので今から深夜の食事に行くが、出て来ないか?」「今月も売り上げが伸びたので、お祝いに一杯どうや?」とか、様々な理由の誘いを受けました。
 河村さんのところに泊まり込んで大濠公園を走った頃、ほんの少し日焼けをしたのです。そうするとその人は、早速当日の会社帰りに日焼け止めローションをそっと手渡してくれました。僕が日焼けしていくのが堪らなかったのでしょうね。僕がその人に気に入られたのは「白いこと」だったのかもしれません。



 僕はロックグラスを取ろうと、手紙から目を離さないで机の上を手で探った。この部屋で佐里君が泊まった日に、佐里君の首筋に浮かんでいた内出血はその男からの望まないキスマークだったのだ。ロックグラスを掴んでウイスキーを一気に流し込んだ。グラスに付着していた水滴がぽたりと落ちて手紙を濡らした。



 小学生の「あの時」、白い恐竜が僕を支配するようになって以来、これも白いことに関することだとすれば、今夏が最大のピンチだったと思います。
 河村さん達とはこの「文字」の仕事は絶対に続けたいし、社員として続けるためにはその人とのデートも断れなくなってしまうでしょう。僕は迷い続け、結構お酒も飲みました。考えれば考えるほど出口の見えない深みにはまっていきました。 
 そんな時、河村さんが大濠公園を毎朝走ろうと言ってくれたのです。最初は戸惑いながらで、あまり気乗りがしませんでした。実際に走ってみると苦しかったけれど、しばらく感じたことのなかった充実感が残りました。
 河村さんが「走ろう」と言ってくれたのは、僕のためだということは最初から分っています。河村さんのアパートに泊まり込む案は、あの人の電話から僕を守るためという理由ではなかったでしょうが、とにかく三、四日間は逃れることが出来ました。
 しかし、会社ではあの人から逃れることが出来ません。僕はどこに泊まっているのかと詰問されました。河村さんのアパートに行けなくなった日は、実はその人に跡をつけられているのが判り、回り道をして自分のアパートに帰りました。
 すぐに僕のアパートのドアが長い間、何回もノックされました。耳を両手で塞いで、ノックの音が去るのをベッドの隅で鳥肌を立てながらうずくまり、待ち続けました。ノックの音がこれほど怖いものだとは。しばらくして静かになったと思ったら、今度は電話が鳴り始めました。音を避けようとバスルームに駆け込んでも、音は小さくなりながらもどこまでも追いかけてきます。あまりにも長く鳴り続けるベルについに正気を保てなくなってしまいました。
 バスルームを飛び出るとすぐに電話線を引き抜きました。僕はまた拒絶の道を選んだのです。今なら電話線を抜く前になぜ河村さんへ電話しなかったんだろうと思えます。しかし、恐怖心に駆られた時点ではそうすることしか出来ませんでした。
 
 僕には河村さんが「自分自身のため」じゃなくて、あかの他人である「佐里」のために、走るという行為を一緒に始めてくれたのだと確信しています。しかし、TVの値段間違いで迷惑をかけたり、河村さんの役に立つことなど少なかったのに、どうしてこんな僕のためにそこまで気を遣ってくれたのでしょうか。
 何故、利益になりそうもないことにまで、気持ち良く首を突っ込んでくれるのでしょう。僕には分りません。これまで、殻に閉じこもって、自分のことだけしか考えて来なかったからでしょうか。残念だけど、理解できません。だけど、これだけは言えます。河村さんが僕のためにやってくれようとしたこと自体は、きちんと僕の心に届いていたということです。一人じゃないという安心感と温かさで、涙が出るほど嬉しかったのです。
 河村さんはコピーライターなのに言葉ではなくて、心で伝えようとしますね。本当はコピーライターとしては、それではいけないのかもしれないけど、僕にはそのやり方が一番伝わりました。むしろ、僕もそのことを頭に置いて、もし次の人生があるならばそのような温かいコミュニケーションの方法を考えたいと思います。

 孤独だった僕の短い人生の最期に、人とのかかわり合いがこんなに素晴らしいものかと教えてくれた河村さんに感謝します。お返しも出来ずに立ち去ることをお許し下さい。今日は気分が良くて、こんなに文章が書けましたが、僕の中でまだ解決できていない部分や、話すべきかどうか結論が出せていない部分はそのままです。この次また、と思いますが。ごめんなさい、もう疲れました。

 もう一度お会いしたかった。そしてもう一度、河村さんと大濠公園を走りたかったです。                                      佐里
                   
# by hosokawatry | 2011-09-19 12:00 | ブログ小説・あの蒼い夏に
明日は晴れるさ
  今は9月の暑さのことをもう「残暑」などと表現してはいけません。今日の最高気温も34度を記録し、気も狂わんばかりの状態です。しかし夜中の最低気温はさすがに25度を下回ることが多くなり、かろうじて睡眠だけは確保できています。

 この夏は3度ほど唐津までの旧R202を車で走ることがありましたが、青い唐津湾にお目にかかることがありませんでした。エメラルドグリーンに輝くきれいな海は、いつも僕の心を和ましてくれていたのに。この運の悪さ、普段の行いがいかに悪いかが分りますよね。

 しかし、夕暮れのオドロオドロしい「曇り茜の空」も、見方を変えれば、何だか明日に希望をもたせてくれるようにも見えます。深刻にならずに、明日を明るく切り開こう!と言葉を投げかけてくれているのですね。よし、ストップしているブログ小説「あの蒼い夏に(この『やさしく歌って』ブログ内)」の続きを書き始めることにしよう。

 リストラの波に飲まれたSさん、K坊、Hちゃん、東京のKくんはじめ一緒に過酷でかつ楽しい時間を過去に共有した人たちと、「あの蒼い夏に」のなかでもう一度、あの青春の輝き(今から想えばだけど)を楽しく確認し合えるように頑張ります。(もう数話で最終回の予定だけど、ほんと最後まで続けるのって根性がいりますね)
# by hosokawatry | 2011-09-15 17:17 | やさしく歌って・自由日記
こころ和みます
 森永チョコボールの鳥のキャラクターに似ているとっぽくて可愛い「サンショクキムネオオハシ」が北九州市若松区(響灘緑地)にあるグリーンパークにいます。大きなくちばしとカラフルな色、可愛いオメメが何とも言えません。広い敷地の中にある熱帯生態園の中で、蝶のオオゴマダラや可愛い恐竜?、いやトカゲかな、ウォータードラゴンなどと一緒に住んでいます。

 運が良ければ、この熱帯生態園にくっついてる軽食喫茶からガラス越しに「サンショクキムネオオハシ」を見ることが出来ます。このオオハシを見つけた時、僕は年甲斐もなく喜びまくってシャッターを切ってしまいました。猫や犬はもちろん大好きですが、とぼけた味を出してくれるトリさんも大好きです。

 このグリーンパークで2500株もの薔薇が咲くという「薔薇フェア」の期間中展示イベントとして、ボタニカルアート展が6月4日(土)〜12日(日)の間行われました。妻の作品も展示することになったので、搬入やら搬出やらで計3回も福岡からグリーンパークに出向きました。

 広い薔薇園は薔薇の甘い香りに包まれ、男の僕さえもロマンチックな気分にさせてくれました。もう今は初夏の開花シーズンは終わりましたが、次は秋にもしっかり咲くので、またその気になれば見に行こうかな。鳥と花、憂鬱な梅雨の季節と仕事のストレスを忘れさせてくれる「愛すべき生き物達」です。サンキュー!
# by hosokawatry | 2011-06-22 17:14 | やさしく歌って・自由日記
喜界島の入り江・午前11時
 「今のところ空梅雨だね」という声が挨拶に続いて聞こえてきます。島に着いた日はどんよりと曇っていて、周囲40kmの全ての海岸沿いも南海の雰囲気がありません。思っていたより気温も低くて、湿度が低ければ半袖では肌寒かったかもしれません。とは言うものの、やっぱり南の島の「梅雨の期間中」。少し歩けば、汗がにじんできます。

 翌日は午前中にほんの少しだけ晴れ間が覗きました。僕は慌てて空港近くの海岸に行き、海を眺めると昨日の海とは色が全く違います。カッと晴れ渡った夏空の下の海の色とは違いますが、渚から数十メートル先の波がくだけているリーフまでエメラルドグリーンに近い色で、満足度70点というところでしょうか。

 鹿児島空港から一時間と少し、JACのミニミニ飛行機でずいぶん揺られながら南下を続けたところに「喜界島」はありました。喜界島は珊瑚の隆起で出来た小さな「ぺた〜っと低い島」です。聞くところによると、現在でも毎年2ミリずつ隆起を続けているのだとか。西側に位置する大きな奄美大島とは全く成り立ちが違います。

 スギラビーチを過ぎて、海岸沿いの遊歩道を歩いていると、沢山の蝶に取り囲まれます。通り抜けると、2匹(本当は2頭というそうです)の蝶が、僕の顔の1メートル横をずっと離れずについてきます。そういえば、この島はオオゴマダラなどの蝶の楽園でもあるそうです。遊歩道の終点に、船泊まりの入り江がありました。その入り江の海の色があまりに綺麗だったのでついパチり。
# by hosokawatry | 2010-05-31 17:44 | やさしく歌って・自由日記
落日
 清少納言に言わすと、春は曙らしいのですが、春の夕暮れ時もけっこう良いものです。土曜の夕方、秋の夕暮れみたいに澄んだ感じはないですが、ふわっと優しい気持ち良さがあります。アングラーが逆光の中で、シーバスを狙っていました。50センチを超えるシーバスが3尾釣れていたようです。小戸公園の海も馬鹿には出来ませんね。

 先日はあの自己顕示欲の強い私立探偵スペンサーが活躍するシリーズで有名な、ロバート・B・パーカーが亡くなりました。最近はあまり読んでなかったけど、最初の頃の「初秋」はしみじみとしていて、とても良かったと思います。マッチョな探偵と少年が繰り広げるハードボイルド小説でした。

 有名な「長距離走者の孤独」を書いた作家アラン・シリトーも亡くなりました。パン屋に盗みに入り、失敗、少年院(?)送りに。走る才能を見いだされ、少年院(院長)の名誉の為に走る少年の話です。院長の「誠実」の裏に潜む「偽善」を感じた少年は、競技大会をトップで駆けてきたものの、ゴール前でわざと後から来る走者に抜かれてしまいます。

 今年の一月には「ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャーがこの世から旅立ちました。3人ともみんな、少年を題材にした僕の好きな素敵な小説を書いてくれた作家なので、とても残念です。巨匠の運命も落ちていく夕日のように、大きくなった後は必ず沈んでいくのですね。僕は軽いし大きく成れないから絶対に大丈夫。安心です。
# by hosokawatry | 2010-04-26 19:23 | やさしく歌って・自由日記
あたたかい夕暮れ
 この1ヶ月間、仕事に全精力を注ぎ込んでいたら、いつの間にか桜の季節が通り過ぎてしまおうとしていました。こんなに桜の花を眺めなかった年はありません。土曜の夕方、愛宕神社が誘っているような気がして、散髪の後に出かけてみました。神社の丘陵を見上げると、まだピンクの色が残っています。

 今年は(も?)桜の開花が早く、散ってしまうのも早いかと思ったら、ほんの少しですが残っていたので救われました。緑の葉には優勢負けしていますが、3分くらいは桜色が残っています。313段の階段を、ふーふー言いながら登段し、頂上の神社からももちを見下ろせば、高い湿度に福岡タワーやヤフードームの足下が靄っています。

 「わたしゃ、福岡生まれじゃけど、こんな景色は初めてやね」と、60過ぎのお母さんの声が聞こえました。ももちのビル群を指差しています。息子夫婦のお嫁さんの方が「お母さん、ずっと忙しかったから」と、ねぎらいの言葉を返しています。僕は風のない神社の境内で、空に向かって久しぶりに両手を大きく伸ばしてみました。春の夕暮れが「よう頑張ったな」と僕の方を向いて優しく微笑んでいます。「しかし、ブログや小説を疎かにしちゃイカン!」の声も聞こえたような。

 山腹の桜の木の横に、桜祭りのための照明に灯がともっています。神様は遅れてきた旅人に、最期の色香を楽しませてくれました。僕は帰りに、唐津街道近くの老舗「魚嘉(うおか)かまぼこ」に寄り、美味しい丸天でも買おうと、開いている引き戸の玄関をくぐりました。「魚嘉」は厚生大臣賞受賞したことのある、こじんまりした古い家屋のお店です。いらっしゃいと、店の若奥さんらしい優しい声が聞こえてきました。
# by hosokawatry | 2010-04-11 12:55 | やさしく歌って・自由日記
シュールな黄昏
 薄暗くなりかけた日曜日の小戸公園。海沿いの歩道を歩いていると、釣り竿を手にして帰路につこうとしている家族のシルエットに出会えます。ヨットハーバーの横を流れる十郎川の河口沿いの堤防では、一日の最後の明かりを頼りにまだ竿を振っている人がいます。何を釣っているのだろう。カレイかな? 

 小戸公園から隣のマリノアシティまで「何歩」歩いたら着くだろうか? と、突然湧いた疑問に答えようと、かってに足が動き始めました。100歩歩くごとに左手の指を一本ずつ曲げて、歩数を記録していきます。マリノアのネオンサインがやっと見えてきました。1023歩です。汗を感じます。

 いつも見る昼間のマリノアと雰囲気が全く違います。発光するネオン管がシュールな世界に導こうと手招きをしているようです。ずいぶん前に見た映画「バグダッド・カフェ」で引き込まれたあの感覚が蘇ります。圧倒的な色彩、斬新な映像美。オレンジとブルーはどうしてこんなにドキドキさせてくれるのだろう。2種類の血管の色だから? 

 夕方のウォーキングは明かりがあればほっとします。帰りの道沿いに灯りがついた民家から、カレーの匂いが流れてきます。小戸交差点の信号を渡るとき、去年この場所に現れたというイノシシのことを思い出しました。無事に、山の方に帰れたかな? それとも能古島まで島の灯りを目指して泳いで逃げたかな? まさか。
# by hosokawatry | 2010-02-09 19:07 | やさしく歌って・自由日記
願い
 スカッと晴れない日が続きます。解決されていない日頃の問題に、新たな悩みが加わったりと、心模様もどんよりとした冬の曇り空。成人病検診で中性脂肪と腹回りで引っかかり、一日1万歩を目指して歩くように指導されました。歩かねば、歩かねばと思いながらも、北風の吹く小戸公園を歩く気になりません。う〜ん、やっぱり心が弱いな〜。

 優れたスポーツ選手は運動能力もさることながら、その思いを遂げようとする強い心に凄さを感じます。目的を達成するために邪念を振り払い、そのための苦しい努力を重ねます。プロのスポーツ選手ではなくても、やっぱりその道(仕事)のプロなんだから、体調には気を配って当然。だとすれば、曇り空で気分が晴れないからウォーキングはやめようなんて、問題外ですね。

 ソフトバンクホークスの斉藤和巳投手が回復しない肩に、またメスをいれると彼のブログに書いてありました。2006年10月のパリーグ・プレーオフ第2ステージ第2戦。日本ハムファイターズとの負けられない試合で、力投したホークスの斉藤和巳投手。9回投げ抜いてもなお151Kmを計測した炎の投球と、最後の内野安打(森本がホームを駆け抜けた)に力が尽きてマウンドで泣き崩れたあのシーン。僕は忘れることができません。

 斉藤和巳のことを考えていると、気合いが入ってきました。よ〜し、せめて近所だけど、図書館まで歩くか。と、結局今日の日曜日、歩数計は5273歩でした。先週末、櫛田神社の鳥居のおたふくをくぐってきました。節分前でしたが、観光客を含め境内には参拝の人が少なくありません。今年はやる気(小説やウォーキング)を切らさないようにと願ってきたのに、早くもふらつく情けなさ。和巳の肩の手術だけは、ぜひ成功しますように!
# by hosokawatry | 2010-02-01 01:24 | やさしく歌って・自由日記
復活
 昨年の11月にMacが起動しなくなり、大慌てで「パソコン生活応援隊」に出動してもらいました。面倒なのでと、バックアップしていないデータが沢山あったので冷や汗をかきました。結局、データ救出料と病状が進んでいたHDDの交換で28,000円もかかりましたが、治ったのでひと安心。と、思っていたら一月後のクリスマスに「起動せず」というショッキングな贈り物が。

 真っ青。「これから、バックアップはこまめに取って下さいね!」と修理してくれた男性の声が頭の中で響いています。一ヶ月前に「そうですね、もうこれからはキチンとバックアップしますよ。データは宝ですからね。分かりますよそんなことくらい、はははは」と、自虐気味ではあるけど堂々と宣言していたばかりなのに。修理した直後なので、すぐには、壊れることがないだろう。と、タカをくくっていた自分の間抜けさが堪りません。

 言行不一致。バックアップしていないからまたまたデータのピンチです。仕事のデータはもちろん、義理の父の埋葬の写真など、大切なデータが風前のともしびか? また、救援の電話をするのが恥ずかしく、とても苦痛でした。チキンハートのクリスマスになったわけです。再び現れた必殺修理マンは、そんな僕の心を読み取り、プライドを傷つけないようにとバックアップの状況を訊ねないで、すぐに優しく対応してくれました。ふ〜っ。

 データが再び復活! 元気が出たので、年末に「あの蒼い夏に〜チラシづくりの青春・37」を書き上げることができました。途絶えていたブログ小説も復活です。やっと今日手に入れた、Logitec社の外付けHDD(容量が1000GB近くあるのに一万円はしません、安くなったもんだ)をセットアップしました。データ貯め放題。これで落ち着けます。正月に撮ったウメモドキの赤い実がニコッと笑ったような気がします。さあ、頑張らなくっちゃ!
# by hosokawatry | 2010-01-09 14:54 | やさしく歌って・自由日記


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