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あの蒼い夏に42

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 河村さん、と聞こえた瞬間に鳥肌が立った。そして僕には反射的にその声の持ち主が誰だか判った。年齢とともに渋みを増した、ゆったりと落ち着いた声だったが、抑揚だけは当時と同じだった。よく事情を飲み込めていない僕は動揺の色を隠せないままに、社長の顔を覗き込んだ。
 目元にほんの少しだけ面影を残していた。彼に間違いないという判断を下して見るから判ることだったが、顔の輪郭は以前に比べてかなり丸みを帯びていた。ゆうに三十年以上の月日が流れていたのだから、その変化は当然のはずだった。彼の人生を変えてしまった「顔の色」は、既にその面影もなかった。しかし、なにがどうであれ、今ここに、僕の目の前に立っているのは、間違いなく佐里君だ。

「河村さんの会社の危機を知ったのに、行動を起こすのが遅くなってしまって、申し訳ありません。いろいろと大変だったのでしょうね」と佐里君は僕を気遣う言葉を続けた。そして時間を少しばかりくださいと、僕の目を覗き込んで事の成り行きを話し始めた。
「実は、私の実家は造り酒屋をやっていました。焼酎を造っていたのです。その話も、おそらく河村さんにはお話ししたことはなかったかと思います。ご存知かとは思いますが、焼酎はこれまでに一度、1980年くらいにスポットライトが当たり、『ホワイト革命』といわれた第一次焼酎ブームを経験しました。しかしそれは癖がなくて口当たりの良い飲みやすさだけが前面に出ていた焼酎でした。1990年代に起こる日本酒の淡麗辛口と同じように、いいかえれば牙を抜かれた没個性トレンドでした」
 もちろん僕もそのことは知っていた。その後、それらの焼酎はさっぱりとした味と同じように、未練も残さず、ブームの舞台から降りていったのを憶えている。頷く僕の目を見ながら、佐里君は話を続けた。
 「そして、今は次のブームが来ていると言われますが、今度は本格焼酎ブームです。実家で造っていた焼酎は古くからの手作り芋焼酎で、ホワイト革命では取り上げてもらえなかった、よくも悪くも癖の強い焼酎です。今、そんな不器用な個性をもつ味にやっとスポットライトが当たり始めたのです。これまでとは違う焼酎ブームです。造り続けてきた本格芋焼酎がやっと注目され始め、ようやく私たちの蔵も希望が持てるようになりました。そうやって親から受け継いだ焼酎蔵も少しばかり経営に余裕が出てきたころに、封印していた永年の夢、『文字』にかかわる仕事のことがムクムクと頭をもたげて来たのです。もちろん、河村さんと別れて以来、ずっと、その仕事を忘れたことはありませんでしたが、残念ながらデザイン領域は全てといっていい程デジタル化し、もう昔のように写植を打つ単独の仕事は存在しません。現在はコピーワークもデザインワークもパソコンに頼らないわけにはいきません。もう若くはない私でしたが、意を決してパソコン操作とデザイン用のアプリケーションを習得したのです」

 社長は少しばかり残念そうな表情で窓の外に視線を移した。

 私は伝達手段としてとりわけ文字を重要視していましたが、河村さんはコピーライターなのに文章でなく「行動や熱意」で伝えようとしていたことを思い出しました。優れた伝達手段は表現材料を論理的に組み立てられるものだと言う人もいます。いわば文法のようなものでしょうか。文字のかたちは意味を持つけれど、はたしてそのことだけで、いや、その組立だけで相手に思いの全てが、きちんと届くものでしょうか。私は無理なような気がするのです。それだけでは片手落ちです。
 やはり、言葉をつくる人の態度、姿勢が重要だと思います。それは熱意のようなものです。ライオンの攻撃から我が子を守るシマウマの母親のアドレナリンです。子育てのオランウータンの愛情ホルモンです。姿勢、熱意などエモーショナルな部分を許容しすぎると科学合理性を否定するようなことのように思えますが、やはり、テクニックだけでは限界があるのです。絶対に心が必要なのですね。それは、河村さんと出会って、それがどんなに大切かを身をもって体験した過去があったから解ったことです。それが、あなたから戴いた一番の人生の宝物なのです。
 血の通った広告作りをやりたい。残りの人生をかけてと、田舎の人間にとってはたいへんな決断なのですが、私は父に無理を言い、弟に蔵の経営を譲って出て来ました。ひとつだけ我が儘な条件を飲んでもらって」

 社長、いや佐里君は自分用の大きなデスクに腰掛けると、自分もコーヒーが飲みたくなったと言って、内線で女性にキリマンジャロを催促した。「社員もまだ焼酎蔵より連れてきた事務の女性だけしかいません。超零細企業です」と、笑った。
 「大手の流通業も大苦戦している時代です。それに恵屋さんの経営破綻も大きく報道されました。この時期、自分の夢の実現のためにとはいえ、可能性のない冒険など出来るわけはありません。卑怯かもしれませんが、私は父親に『ある人と一緒に仕事ができるのであれば、新しい会社を起こせる』ことを告げました。もしその人がそれを受け入れてくれるのならという条件をつけました。普通は通るわけのない都合の良いお願いなのですが、両親に無理を言いました。   
 いろいろ調べさせていただいたら、河村さんは福岡市内にいらっしゃるとのことで、河村さんに届けばいいなと『インビテーション』という会社名にしたのです。河村さんと一緒に仕事をしていた時、何処かのショップの招待状を作りましたね。河村さんは確かあの時、インビテーションの欧文をヘルベチカで書体指定をされました。私にはその文字を打ちながら、感じるものがありました。自分を導いてくれる明るい未来からの招待状かもしれないと思えて、本当に有り難かったのを憶えています。河村さんが退社されたのを確認できたので、今度は私が河村さんに招待状を送る番だと思ったのです。私の為にいろいろと頑張っていただいたのを、実はワタリ係長から聞いていたのです。私につきまとっていたその当時の社長を突き飛ばした話も。やっぱり河村さんはコピーライターなのに、言葉より先に、態度や動作にでてしまうんだなんて。河村さんだなあって、笑ってしまいましたが」


 佐里君は受け取ったコーヒーを一口すすり、視線をカップに落とした。
「私と一緒に、また走っていただけますか?」と佐里君は上目遣いに訊ねた。急に屈託のない表情に変わり、あっけにとられる僕の目の前に女神ニケの翼のマークが入ったジョギングシューズを持ち出してきた。
「河村さんは確か二十六センチでしたね」と、微笑んで僕に差し出した。

「私は賭けました。求人広告で『インビテーション』という会社名が河村さんに伝わるだろうか。伝わったら河村さんと一緒に会社を興そうと。私は一世一代の広告を打ったのです。それがチラシだったら、さらによかったのでしょうが。コミュニケーションの大切さを、その力を知っておられる人とだったら、そしてまだその心が残っておられたら、一緒に仕事が出来ると思ったわけです。私は迷ってはいません。一度は死んだ人間です。そう、あの夏に。蒼かった夏に」と、当時の想い出を噛み締めながら話す佐里君の表情が強張った。間髪置かずに頬を一筋の涙が伝った。そして溢れる涙に「あの時の、ただ、河村さんの気持ちだけが嬉し…」と、言葉を詰まらせてしまった。「…嬉しかった」

 僕はこれまでに味わったことの無い静かな感動に震えていた。あの佐里君が目の前に現れて、就職に困っているハローワーク通いの人間にぜひ一緒にとお願いしている。シンデレラのジョギングシューズをさしだしながら。魔法にかかっているのなら覚めないで欲しいと願った。

「不摂生がたたって、血糖値と中性脂肪値が高いですが、こんな私で良かったら、ぜひ一緒に走らせて下さい」と言って、僕はペニーローファーから足を抜いた。ジョギングシューズに足を移して、紐を締め直すと、上着を脱いでネクタイをはずした。
「私も走ります」と言って佐里君もネクタイを緩めて、襟元からすっと抜き取った。シュッと気持ちの良い音が聞こえた。
# by hosokawatry | 2015-10-12 13:25 | ブログ小説・あの蒼い夏に

あの蒼い夏に〜チラシ作りの青春・41〜


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 「中洲の店を閉めます」とアナザーウェイのアザミさんが会社を訪ねてきた。二十一世紀最初の年だったことを憶えている。消費が停滞して、危険なデフレが進行していると多くの経済評論家が政府の取り組みを批判した。バブル経済の崩壊は経済用語から現実へと姿を変えて、僕達の業界にも行儀悪くにじり寄ってきていた。そして、陰気にじわじわと営業活動の隅々にまでまとわりついていった。
 そういえば、アザミさんの店にはもう何年も顔を出してはいなかった。つれないと思えても、自腹で行ける余裕はない。この数年、接待経費も絞られ、課長から承認印をもらえる回数は激減した。営業コミュニケーションの必要性を訴えても、そのほとんどは徒労に終わった。接待経費の直接影響下にある中洲のネオン街は、まさに強風下のロウソクの灯火だった。中州を愛する誰もが炎の次の瞬間を息を凝らしながら見つめていたが、どうすることも出来なかった。惜しまれながらのれんを降ろす店は絶えなかったし、性の境を越えて愛されてきたアザミさん店ももちろん例外ではなかったのだ。

 僕達を心底怯えさせたのはメインのクライアントの経営破綻だった。スーパーマーケット業界もバブル期までの積極的な投資が裏目に出て、景気低迷の中でもがき苦しんでいた。企業リストラを繰り返すわりには、効果は出なかった。大量出血を恐れた結果、本来の思い切った手術も出来ずにいたのだ。それらの経営陣はあまりにも人が良すぎた。いや、まだ温かすぎた時代だったと思う。
 我が得意先であった恵屋から漏れて来る情報もほとんどが暗いものだった。どんな分析結果にも、明るい未来は感じられなく、容態は想像以上に悪化していたようだ。売り上げの多くを恵屋に頼っていた僕の会社の運命も、時間の問題になっていた。そんな中、本社で行われる全社支店長会議から帰ってくる、僕の上司であるワタリ支店長の肩はいつも大きく落ちていた。「俺は撫で肩だからな」という支店長のジョークが虚しく響いた。

 若かった僕や笠木君達も、すでに五十歳に手が届く年齢に達していた。問題が起こると、とん、とん、とんと中指を立てて、イライラしながら机を弾いていた野瀬課長は既に定年退職していた。バブル経済が弾けて以来、ワタリ支店長以外の管理職社員の多くも早期退職を余儀なくされていた。そこをさらに恵屋の破産が追い討ちをかけた。
 恵屋のチラシ制作依頼がゼロになり、制作に携わる人間は一方的に不要になってしまったのだ。総務部のひんやりとした催促の掌が、容赦なく社員の肩に向かっていった。年齢が高くて、おおよそ給与が高い制作者の順に、「ご苦労様でした」の声をかけられた。
 仮に退職勧奨を受け入れても、年金支給開始年齢まではまだまだ長い。わずかな退職金を手に出来ても喜べるはずもなかった。大事な家族はもちろん、可愛いペットも含めての「生きていく糧」を得る為には、僕たちはこの先も働き続けなくてはならないのだ。
 しかし、この10年近く、取り巻く就業環境は最悪だった。湿りきった不況は就職への扉を錆び付かせ、僕たちの心にギシギシと重くのしかかっていた。扉の隙間から漏れてくるわずかな希望の光は弱々しく見え、特に中高年にはどこまでも頼りないものに思えた。そんな過酷な現実の中、社員は決断を求められた。 
 僕は少数の仲間と会社の再生を夢見て頑張ってみたが、思った以上に再生の道は険しかった。民事再生法が適用されたものの、結局、会社は二年後に断末魔の叫び声をあげてギブアップした。


 「今朝の新聞にね、求人広告が出てたみたい。あなたにちょうどいいかも」

 退社してちょうど三ヶ月が過ぎようとしていた。僕はメジャーリーグの試合中継を見ていた。TVの中の細身の日本人選手が美味くヒットを打って、ランナーをホームに帰した。どうしてこの選手はこんなに見事に期待に応えることができるのだろう。自分が持ち得ない「答えを出せる」能力に嫉妬した。
 僕はまだ今朝の求人欄には目を通していなかった。妻の言葉に「ああ」とだけ小さく応えたものの、TV画面から視線を切らずにいた。ただ、ゲームを決める大切なヒットに出会えたはずなのに、平日の午前中にテレビ観戦している無職の身には、やっぱり熱くなれるはずもなかった。煮え切らない毎日が続く。すべての旨味はオブラートに味を奪われている。

 先日もハローワークで、広告制作会社の求人を見つけたが、条件が合わなかった。ホームページ制作もできることが条件になっていたからだ。コピーライター出身のディレクターだったので、Macを使ったデザイン制作は得意ではない。パソコン操作が下手なデジタル避難民としてのキャリアが長かった僕の就職は、応募の入口で躓くことが多かった。
 一社だけデジタル制作の条件がなく、希望職種と合致する案件もあったが、あまりにも基本給が安過ぎた。もちろん、五十がらみの中高年に対する条件の良い就職口は「宝くじの当選確率」だと思わなくてはならない。そんなことはわかっている。しかし、それでも現実に支給されている失業給付金より少ない給与には、二の足を踏まざるを得なかった。 
 元気が出そうな情報が少なく、足げく通ったハローワークのパソコン閲覧の毎日にも疲れ始めていた。最近、粘りが欠けて来たのが自覚できる。だが、暮らしがある。家族がいる。そんな弱気は許されないのだ。勇気を持って現実を直視しなければならない。無職の身でも今日・明日はなんとか凌げるだろう。だが、必ず結論を出さなくてはならない日がすぐにやって来るのは判りきっている。すでに、現実の問題として、子供の大学生活にかかわる経費負担が重くなり始めていた。もうじき、愛猫のペットフードの質も落とさなければならなくなるだろう。先が見えにくい家計をやり繰りしている妻は、毎日明るく振る舞ってくれていた。「あなたも三十年近く頑張ってきたんだから、そんなに慌てなくてもいいわよ」と、再就職への負担を思いやる妻の存在に支えられたが、逆に男としてそれが何よりも辛かった。ここに答えを出せない情けない自分がいる。意地を張らずに、もう、職種を問うのは止めようかと本気で思い始めていた。
 
 「ねえ、ここ、ここ」と反応の鈍い僕の目の前に、妻が新聞求人欄を広げた。他の求人欄より大きめの枠内に「経験豊富な五十代のコピーライター求む」とだけ書いてある。会社名は「インビテーション」で、そんな名前の広告代理店や制作スタジオはこれまで聞いたことがなかった。少なくとも有名な会社ではないはずだ。所在地は中央区大濠にあるビルの中らしい。場所は一等地だ。
 その他、何の具体的な要望も条件の明記もなく、ただ委細面談の文字だけはしっかり書かれていた。僕は妻に「よく解らないけど、ちょっとだけ覗いてくるか?」と言った。「ダメもとだから」と心の中で呟くことも忘れなかった。
 一応、確かめるために電話を入れた。ご来社いただける日をお聞かせください。営業時間中であれば基本的に大丈夫ですが、ご希望の時間もご指定くださいと、電話の女性は丁寧に応えた。こちらの都合で面接の日時を決めることができるとは。僕はさっそく明日の午前十時に伺う旨を伝えた。電話をかけ終わると「経験豊富な」と書いてあった求人コピーを思い出した。永年勤めたけど、すべてのコピーライティングにおいての「経験豊富」には自信がない。スーパーや百貨店等の小売りにかかわるコピーライティングについての経験は豊富だったし、自信もあった。しかし、マス媒体を中心とするメーカーの商品広告やTVやラジオ媒体のコピーはかかわることがほとんどなかった。不安がよぎる。そのことについても質問されるだろうし、弱点をえぐられるのは嫌だったが、しかし、それはそれで仕方のないことだった。
 僕はいつもと同じように、また履歴書と職務経歴書を用意した。

 残暑の朝、僕は就職面接のためにマンションを出た。「お前の餌代、任しとけよ」と腹を上にして寝転がっている猫に一声かけ、妻にウインクをしながらドアを閉めた。今日一日、僕は明るく元気に振る舞わねばならない。自信があろうと、なかろうと、結果が出ようと出まいと、現時点での全力は尽くすつもりだ。それがいくつになっても男の意地ではないか、と思った瞬間、入社したての頃の課長の声が聞こえてきた。「長嶋だって、王だってヒットは三本に一本しか打てんのに。それを全打席ヒットにしようなんて、そりゃちょっとしんどいわな」懐かしい言葉に笑いがこみ上げてきた。三十年後もまた、精神的にも弱りかけながらも、まだ全力で「百パーセント」を尽くそうとしている自分がここにいる。頭の中で、永年付き合ってきた黒い悪魔が「もうお前には付き合いきれんよ。俺は負けたよ。ほんとうに諦めの悪い奴だ」と白旗を揚げた。「良いことがあるといいな」と悪魔が出した初めてのピースサインに、僕は笑ってしまった。

 目指す会社は地下鉄大濠公園駅の近くだった。背が高い黒色タイルの建物は、大濠の地価にふさわしい格調の高いビルだった。エレベーターの前で目指すフロアを確認し、僕はお目覚めのミーアキャットのようにきちんと背筋を伸ばした。これまでの面接と同じように、エレベーターのボタンを押した後、一度だけ深く息を吸い、呼吸を整えた。
 僕は受付で電子ブザーを押した後、気持ちの良い声の女性に迎えられた。すぐに、会社の応接室にしては重厚な感じのする部屋に通された。マホガニーの重そうなテーブルが置いてある。「社長より、こちらの部屋にお通しするようにと言われていますので」と笑顔は柔らかだった。その女性はすぐに社長が参りますので、と言った後、お辞儀をして部屋を出て行った。
 社長直々の面接など、久しぶりだった。新卒の入社面接でずいぶん昔に味わったような、緊張感の中で上気していく50才の自分が可笑しかった。出されたコーヒーカップを持つ手が少し震える。酸味が強いコーヒーだった。キリマンジャロかな、味覚の嗜好を知っているのだろうか。まさか。
 ビルの最上階のオフィスの広い窓越しに、午前十時の蒼い空が広がっていた。僕は窓越しに広がるパノラマに惹き込まれるように立ち上がり、窓辺に歩いて顔を近づけた。最上階からの眺望が眩しい。見渡して、見下ろした。眼下に大濠公園が広がっていた。キラキラと輝く水面と浮島に続く観月橋が見えている。池の回りの外周路をジョギングしている人がいた。その中に息を切らしながら走る自分を見つけたような気がした。思わず僕は息を飲み、その風景に見入ってしまった。
 大切な面接の前なのに、懐かしい記憶が一気に湧き出してきた。一九七七年、あの蒼かった夏の記憶が、外周コースのジョギングシーンに続き、次から次へと鮮明なシーンとなって一気に溢れ出てくる。
 
 ノック音がして、続いてドアノブの回転音が聞こえた。不意をつかれ、面食らったように慌てながら僕は我に帰った。すでに社長と思われる男性がドアを背にして僕の方を見ていた。「景色が素晴らしいので、このビルの最上階を借りたのですよ。大濠公園は想い出もあるし、絶対にこの物件しかないと思いましてね」。窓の外の光景に目を奪われていた僕は、ドア入口の近くに立つその男性の顔がシルエットのように黒く見えた。どんな人物なのか、よくは判らない。
 声をかけられた時、社長に背を向けていた僕は非礼を詫びて頭を下げた。
「いいえ、失礼していたのは私の方です、河村さん。こんなに遅くなってしまって」
# by hosokawatry | 2015-01-01 18:08 | ブログ小説・あの蒼い夏に

あの蒼い夏に〜チラシづくりの青春・40〜

                   
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「え~っ、自宅謹慎なの、河村クンが」と受話器の向こうで、かすみは呆れ声を上げた。「河村クンのほうから、バイト先に電話をくれることもびっくりだけど」
 僕は自分の声が低くて、張りの無いことに気付いた。かすみも僕の元気無さを気遣い、バイト先の花屋から「おいしいごはん、作りにいこうか」と、いつにも増して明るく応えてくれた。そうだね、人にはやっぱり元気が一番だ。かすみに感謝した。

 一週間の自宅謹慎期間中に、笠木くんとキヨシくんがこっそりと電話をくれた。三ツ谷さんだけは「おう、落ち込んどらんか?元気出さんといかんバイ」と会社から昼間に堂々と電話をかけて来た。「まあ、衆矢みたいな凶暴な奴は、しばらく頭を冷やさんといかんタイ」と真面目を装いながら言った。職場の同僚を殴り倒した人間の使うセリフじゃない。
「これで、オレと衆矢は同じ穴の虫な。すぐに暴力を起こす奴は虫けらと同じかもしれん。注意せにゃいかんバイ」
 同じ穴のムジナは判るけど、「虫な」という人は初めてだった。駄洒落のプロはいつどんな時でも、「人を楽しませようとするフィルター」を通しながら五感を働かす。駄作もたくさん放つが、それでも三ツ谷さんのギャグ力には圧倒された。その日、僕はついに虫けらにされてしまったが、仲間にしてもらえて嬉しかった。

 やはり人に暴力を振るうだけでは、何も解決できなかった。胸ぐらを掴んで突き飛ばした僕の方が悪い。誰が見ても明らかだ。遵守すべき社会のルールを複数の目の前ではっきりと破ったのだから。悔しいけれど仕方がない。
 これから、突き飛ばした社長に接触できにくくなることを思えば、解決の道は閉ざされていく可能性が高い。終わりの始まりとなるその行為を思い出しては、心の中で佐里君に謝り続けた。

 8月も終わりを告げようとしているのに、僕のアパートに居座るもやもやとした暑気は立ち去らなかった。謹慎期間がとても気怠く感じられた。扇風機の風はやたらと生温い。涼しくないと不満ばかりたれていた会社のエアコンが恋しくさえある。
 騒がしいけれど、熱気の溢れる職場。一人きりの寂しさを強制され、味わってみてはじめて見えてくるものがあった。コピー書きも、もっと静謐な場所でやりたいと、愚痴ってばかりいたが、これからは考え直す必要もあるだろう。空調だけに限らず、実は職場の喧噪も捨てがたい魅力を持っていたのだ。本当は、天国だったのかもしれない。
 そういえば恵屋さんへのプレゼンを、もう仕上げなければいけない時期だ。リミットが近づいていた。僕は早急に企画書の未完成ページを埋めなくてはならない。なのに、今は完成にはほど遠い無気力な場所にいる。書ける時間だけはたっぷりあるのに、どうしてもその気になれなかった。
 謹慎中だったが、部屋を離れて久しぶりにパチンコ屋を覗いた。学生時代にはよくその日の食事代を賭けた勝負をしたが、遠ざかって久しい。零戦のプロペラとハネのついたパチンコ台が並んでいた。僕をあわれに思ったのか、パチンコ台は銀色の玉を景気良くジャラジャラと吐き出してくれた。これまでは勝ちたいと思った時は必ず負けていた。欲は運をつれてはこないのだ。今日は勝ち欲が希薄だったから勝てたのだろうが、まあ、こんな謹慎期間の中では買った喜びに浸れるはずもなかった。

 謹慎3日目の土曜日の夕方に、かすみはアパートに現れた。かすみは「ふうっ」と溜息をついて、重そうな食料品の入った紙バッグを下ろした。そして、もう一方の腕で大切そうに抱えていたLPの黄色いビニールバッグを僕に差し出した。
 ビニールバッグにはロバータ・フラックのLPが入っていた。かすみは「『やさしく歌って』が入ってるアルバムが良いかなと思ったけど、でも、この『ファーストテイク』にしたの」と言った。「このLPね、なにか救われるような気になるんだって。お店の人がそう言ってた」
 かすみはゴハン作るね、と言って立ち上がり、キッチンの前で紙バッグの食材を確認し始めた。僕はヤマハのレコードプレーヤーの前で座り込み、LPジャケットの曲名を確かめようとした。ベイ・シティ・ローラーズが大好きなかすみが、ふだんは聴いたこともないようなこんな渋いLPレコードを何故?と、思った瞬間、レコードショップのかすみの姿が浮かんだ。僕のために懸命にレコードを探している姿が。雑誌情報やレコードショップの店員の意見を参考に、決めたタイトルなのだろう。

 かすみの気持ちがこの上なく嬉しかった。僕は急激に沸き上がってくる感情に突き動かされた。キッチンに立つかすみの後ろ姿をギュッと強く抱きしめた。いきなり抱きしめられたかすみは驚き、少し身体を硬くしたが、僕の「ありがとう。とても嬉しい」という声ですぐに柔らかさを取り戻した。かすみは手にしていたスパゲティの乾麺をそっとまな板の上に置いた。
 夕暮れの最後の海風が部屋のカーテンを大きく揺らした。どのくらい、かすみを抱きしめていたのだろう。僕はかすみの向きを変え、正面から抱きしめてキスをした。長いキスの後、「私のこと、好き?」と、いつものようにかすみが訊いた。僕は目を見ながら頷いた。かすみが現れた時はまだ夕日が残っていたが、晩夏の夕暮れはもう薄闇に溶け始めている。
 薄暮の逆光の中、ベッドの上のかすみはだんだんと輪郭を曖昧にしていく。僕はその存在を確かめるように何度も何度も強く抱きしめた。かすみは僕の愛情にきちんと反応した。ショートヘアの頭が柔らかく傾ぎ、揺れた。
 しばらく二人は汗の海の中で横たわっていた。
「やっぱり、河村クンって真っすぐだから、大好き」と言って、かすみは微笑んだ。僕はお腹が空いたねと言いながら、かすみのお腹をつついた。
 
 謹慎が解ける二日前には、野瀬課長から「予定を変更するけど、ええか?仕事がいっぱいなんや。一日分、許したるさかい、とりあえず明日から出てこい」と乱暴な電話がかかってきた。野瀬課長の机を中指でとんとんとんと叩く音が聞こえたような気がした。会社規定の謹慎期間を課長が勝手に変えてもいいのだろうか。まあ、それもありなのだろう。
 謹慎決定時に、頭を冷やせと言われていたが、本当に冷やせたかどうかは自分でもよく解らない。しかし、出社した僕を待ち構えていたものは、恐ろしいほどに積まれたチラシ原稿の山だった。どうやって捌こうかと考えるだけで、高熱が出そうだった。一時的に頭を冷やせたのかもしれないが、いずれにしても、「冷静」な自分の姿を見つけ出すのは難しい、この仕事では。「お前には無理な事が多すぎる。能力のせいだから仕方ないがな」と久しぶりに黒い悪魔が頭の中に現れて言った。

 その週の日曜日にまた、かすみがアパートにやってきた。残暑が残る季節なのに、妙に空が青くて爽やかな朝だった。外の空気が気持ち良さそうなので、大濠公園のカフェテラスでコーヒーでも飲もうよと、かすみから誘われた。
 そういえば、最近は大濠公園には出かけていない。佐里君とのランニングシーンを思い出すので、近づくのを無意識のうちに避けていたのかもしれない。思い出すだけで、とてもやるせなくなるからだ。何もしてやれなかった情けない自分の姿なんて、誰だって思い出したくないはずだ。しかし、今日は少し違った。かすみの声に、心の扉が少し開きかけている。よく解らない何かに誘われているような気がした。僕は冷えきった日陰から、陽の当たる暖かい草むらに歩き出そうとしている。本能が温められ始めている。僕はそのような、初冬に出会える小春日和の子猫になった。

 僕は歩きながら、昨夜、巨人の王選手がメジャーの記録を抜く七五六本のホームランが出たことを話した。地元球団を懸命に応援してきたつもりだったが、つい、華やかな話題を提供してくれる人気球団の選手に注目してしまう。地元球団はスポンサーがめまぐるしく変わり、新しい球団名だけを与えてくれるだけで、僕たちの熱い夢は叶えてくれそうもなかった。球団経営が大変なのだろう。残念だが仕方がない。それにしても、やっぱり背番号1は偉大だ。

「河村クン、ほら、あれ」アパートを出て少し歩いたところで、空を見上げたかすみが突然立ち止まって声を上げた。青空をバックに三角翼の紙飛行機が円を描いていた。
 その白い飛行機はゆっくりと僕の足もとに舞い降りてきた。紙の三角機首がアスファルトに当たり、突っ込んだ先端を支点にして前方に一回転した。低速で降りてきた割には、最後はハードなランディングだった。
 僕にはその前のめりの着陸姿勢が可笑しかった。この夏の自分の姿そのもののような気がしたからだ。社会人2年目として、全力で地場の大手スーパーのチラシづくりに努めたつもりだった。だが、そこには未熟な人間が避けては通れない、成長のための厳しい関門が幾重にも待ち構えていた。ヤル気だけの若さはとても危険なものだった。結局、正確さが要求されるチラシづくりで、何度もミスを起こし、得意先はもちろん会社や職場の先輩達にもその都度大きな迷惑をかけた。
 そして、我が身のサイズに合わない正義感を発揮しようと頑張ったことも裏目に出た。結局、僕達を支えてくれている関連会社の人に、暴力を振るってしまうことになってしまった。起因に関する部分は明らかではないにしろ、とにかく僕は苦い謹慎処分を受けた。
 しかし、こんな危なっかしい人間を周囲の人は見捨てなかった。いや、未熟だからこそ、手を差し伸べてくれたのだろう。恵屋の咲田店長には「新人のヤル気」を、先輩の三ツ谷さんにはろくでもない「若気の至り」を、アナザーウェイのアザミさんには「若い男の行動力」を、そしてかすみは僕の「真っすぐな気持ち」を買ってはくれた。
 それらはみな成熟にはほど遠く、立派な男として認められ、讃えられるものではないような気がする。悔しいけれど、まだまだ蒼く甘い。
 僕は自分に励ましの声や、温かい眼差しを向けてくれる人がいることを忘れてはいけないと思った。いくつもの失敗を犯しても、その都度立ち直らせてくれた、それらの多くの思いやりのこころ。その温かさは僕に大切な感受性と深い判断力を、そして今も大きな可能性の芽を育ませてくれようとしているのだ。
 あの二日酔で迎えた残業の夜には、大切な仕事を前に、不覚にも寝込んでしまった。それを見越して、黙って僕の仕事を済ませてくれた三ツ谷さんの姿が脳裏をかすめた。僕に足りない部分を埋めてくれる、強くて温かい行為が思い出される。あの時のように、また熱いものがハートに触れた。目頭が緩み、少し風景が滲んだ。

 僕はかすみに涙を覚られないように視線をそっと上げた。視界に入る瀟洒な洋館は、二階の窓が開いている。大きく解放された窓から、女の子がじっと、僕達二人を見つめていた。「もう治ったのかしら、退院したみたいね」とかすみが口を開いた。僕は足もとでひっくり返ったままの紙飛行機を拾い上げた。それはスケッチブックの画用紙を一枚破いて作った飛行機だった。文字らしきものが書いてあった。僕はすぐに紙飛行機を解いてみた。
「ありがとうございました」とクレヨンで大きな文字が描いてあった。僕はかすみと繋いでいた手を離し、頭の上に指先をつけて上唇の後ろに舌を差し込んだ。さらに鼻の下をぐ~っと伸ばして、あの時と同じようなチンパンジーの顔を作った。門柱の陰からククッと笑い声が聞こえ、僕達に向かって頭を下げる母親の姿が見えた。

# by hosokawatry | 2014-01-27 12:57 | ブログ小説・あの蒼い夏に

復活

復活_a0071722_12431692.jpg世の中で一番難しいことって、継続じゃないかしら。途絶えて、時間が過ぎて、焦ることも忘れてしまった程だから。冬の能古島を歩きました。冬なのに、木の葉がとても明るい未来を指し示してくれていました。頑張らなくっちゃ。さっそく、「あの蒼い夏に」を書き始めました。40話をすぐに掲載します。大塚くん、お待たせ!
# by hosokawatry | 2014-01-27 12:45 | やさしく歌って・自由日記

あの蒼い夏に〜チラシづくりの青春・39〜

                   

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 佐里君は僕への手紙を出し終えた後、自殺を図ったのだ。僕は茫然としながら、読み終えたばかりの分厚い便せんの束を封筒に戻した。誰なのかはよく分らないが、手紙の内容からは佐里君をそこまで追い詰めた人間の存在だけははっきりと分る。とにかく、自殺が未遂に終わっていたのがせめてもの救いだった。
 食い込めそうな弱い部分を探し当てようと、卑怯な目を光らせながら、白くて柔らかい佐里君を見つめていた怪物。防ぐ術を持たない無垢な心に襲いかかったその怪物を僕は許せなかった。手紙の文面からは、その男の立場が彼より上の人間だということだけは読み取れるが、それ以上詳しくは判らない。本当に卑怯な奴だ。
 頭の芯は数杯のウィスキーですでにしびれ始めていたが、怒りだけは勢いを失いそうもなかった。僕は叫び出しそうになる自分を必死で堪えた。「ある人」って、一体誰なんだ? 死の覚悟をもってしても、尚もその名を明かすことを拒んだ佐里君。
 佐里君、僕はどうすれば良いのだろう?仮に、僕がその怪物を探し出せても、果たして佐里君は喜んでくれるのだろうか。このままそっと静かにしていることを望んでいるのかもしれない。ただ単に犯人を暴くためにフィリップ・マーロウを登場させれば良いという訳でもなさそうだ。 
 ワタリ係長の「あの子のためにもこの話はなかったことにしてくれ」という言葉が午前中の記憶から聞こえてくる。頭の中の悪魔が囁きかけて来た。「止めときな、面倒なだけだ。何遍言ったら分るんだ」僕の迷いは勢いをなくしながらも、回転木馬のようにいつまでも揺れながら回り続けていた。

 河村さんはコピーライターなのに言葉ではなくて、心で伝えようとしますね、と書いていた佐里君の手紙。文字や言葉を操るプロとしてはいただけない評価だが、それでも想いが伝わっていたことのほうがとても嬉しかった。僕はグラスに残った最後のウイスキーを流し込んだ後、ゆっくりと立ち上がった。そしてシャワーを浴びた。
 午前三時の静寂の中、犬の鳴き声が深夜の闇を切り裂く。その遠吠えは、膠着状況を打破するための強い意志を持った監督のサインに思えた。しかし僕の頭は送りバントを失敗した2番打者のように混乱したままだ。麻痺が判断を試みようとする意思を急速に飲み込んでいく。もう誰のサインにも応じられない。僕は弱いため息をつきながら、濡れたままの髪の毛でベッドに大の字になって目を閉じた。
 もう一週間もすればお盆になる。帰省の時季だ。かすみは福岡、笠木君は大分、三ツ谷さんは長崎、竹田さんは滋賀とそれぞれの故郷がある。そして佐里君は病院のベッドの上かもしれないが、すでに実家のある町に帰っている。
 今夜、最後の責任感が僕を確かめに来た。ワタリ係長の声を無視して、佐里君に会いに行くべきだろうか? しかし、僕には佐里君の実家がどこかも分らない。
 僕は自分が拾ってきて育て、実家に住み着いている「しぶ」という猫を想った。元気にしてるかい?茶トラの丸い大きな顔が現れ、笑っている。ニャーン。やっぱり、家に帰ろう。

 僕は佐里君の実家の住所か電話番号を教えてもらおうと、盆休みに入る前に一度だけ、最後の迷いを振り切るようにステップ写植に電話を入れた。しかし、守秘義務があるので、会社を辞めた人間のことを、得意先とはいえ勝手には教えられないと拒まれた。守秘義務という言葉を初めて耳にした僕は、面白くない違和感を覚えた。
 諦められなくて、市内の電話番号を電話帳で調べたが無駄だった。どこにも佐里という名字が掲載されていなかった。手当り次第に九州中の市外番号案内で調べれば良かったのかもしれないが、すでに気力はそこで切れてしまっていた。

 盆休みが終わって2、3日過ぎた頃、竹田さんの退社情報を笠木君が教えてくれた。僕達同期生三人は昼食時の喫茶店にいた。
「竹田さんはお父さんの具合が急に悪くなって、家を継ぐために帰るんだって。河村、知ってた?」
 僕はそのことについては飲みながらだったが、本人から直接聞いていたので特に驚くこともなかった。ああ、と頷く僕に向かって「それから、ステップ写植さんに"うち担当"の新しい人が入ったんだってよ」と付け加えた。
 ウェィトレスの気配を敏感に捉えた笠木君は、さっと手を挙げて呼び止めた。笠木君は僕達を気にして、視線を大好きなウェィトレスの豊かな胸から意識的に外している。不必要な笑みをたたえながら、3人分の注文を口にした。いつものように、クリスチナ・リンドバークはオーダーを復唱すると、「いつもありがとうございます」と、艶かしい笑顔を返して、よく引き締まった腰を優雅に振りながらカウンターに消えた。
「しかし、よくも飽きないでトルコライスばかり食えるね」と僕は呆れながら言った。キヨシ君と僕は久しぶりのトルコライスだった。
「笠木さんはなんでも一途ですからね」と、キヨシ君は視線をカウンターの美女に向けた。僕もフフッと笑ってしまった。
 すぐに注文したランチは出来上がってきた。クリスチナ・リンドバークが持ってきたトルコライスのうち、一番大きなトンカツが乗っている皿が笠木君の前に置かれた。
「大きすぎない?そのトンカツ」と僕は目を見開いた。
「笠木さん、クリスチナに心が通じてますよ。きっと」とキヨシ君が言うと、「そんなん、ある訳ないやろ。単なる三分の一の確立。たまたまやん」と笠木君は一番大きなトンカツにも相好を崩すことはなかった。気持ちを無理に抑えているのが分る。言葉の裏には嬉しさが透けて見える。
「ふん、嬉しいくせに」と僕は隣の笠木君の肘をつねった。
「でも、藤木女史は悲しむでしょうね?」とキヨシ君が一歩踏み込んだ。
「あの子とはなんにもないんやから、悲しむ訳ないやろ」と笠木君は鼻孔を広げてキヨシ君の言葉をすぐに否定した。
「客観的に見ても見なくても、表面的には藤木女史とクリスチナでは勝負にならないよね。ただ、慈愛に富む笠木君の『美に対する価値観』は時々僕らの理解を超えることがあるし。クリスチナが負けることだってあり得る」と僕は茶化し気味に言った。
「そうそう、笠木さんの審美眼もけっこう怪しい時がありますよね。藤木女史が選ばれる可能性だって否定できないかも」
 キヨシ君の言葉に笠木君は即応した。
「どうだっていいやん、俺のことなんか。藤木女史とかクリスチナとか、いい加減にしてくれん」
「ムキになるところが怪しいな〜? そろそろ、藤木女史が結婚退社させて下さいとか言い出すんじゃないのかな。誰かとの社内結婚ということで」と僕はニヤニヤしながら言った。
「笠木さん、結婚祝いは何が良いですか?」とキヨシ君が真面目な顔を作って質問した。
 その瞬間、タイトスカートに包まれたカタチの良いヒップをくねらし、とても良い香りをまき散らしながら、僕達のテーブルの横をクリスチナは通り抜けた。
 僕達はその後ろ姿に息を飲んだ後、三人でため息をついた。
「それより、竹田さんがいなくなったら寂しくなるよね」と笠木君は無理矢理話題を変えてしまった。「仕事、沢山抱えていたし、その仕事、誰が引き継ぐんやろう?」
 笠木君のその疑問に僕達の肝は一気に冷えてしまった。みんな自己能力を超えそうな仕事量をたっぷりと抱えていたからだ。誰かがその仕事をしなくてはならないが、竹田さんの仕事を引き継げるほどの余裕など、誰にもあるはずがない。一気に憂鬱が三人のテーブルを支配し始めた。僕達はまた溜息をついた。クリスチナの後ろ姿を見た後よりさらに深く。




 翌日午後、三ツ谷さんと僕はワタリ係長から商談室に呼ばれた。ステップ写植の社長が新しく補填した写植オペレーターを連れてきたので、紹介したいということだった。
 社長はその若いオペレーターの経歴を簡単に紹介して、これから一生懸命頑張るので他の社員同様よろしくお願いします、と汗を拭きながら頭を下げた。紹介された若いオペレーターも慌ててピョコリと頭を下げた。
「この子は前の会社ではページものや編集ものの仕事が多かったので、チラシの経験は多いとは言えませんが、作品を見るとセンスも良いのできっと優秀な戦力になってくれると思います。前の子はちょっと神経質すぎたけど、今度は人当たりも良いし、大丈夫ですわ」と、社長は小太りの腹を突き出すようにして自信を示した。

 三ツ谷さんと僕は、こちらこそよろしくお願いしますと二人に頭を下げた。顔を上げた時、僕は今日はじめて見るその若いオペレータの顔が白いことに気付いた。よく見ると佐里君ほどまではなかったが、かなりの色白だった。藤木女史が運んできたコーヒーのカップを持つ彼の指は細かった。
 男らしさを感じさせない可愛いタイプの男だな、と思った瞬間、僕の脳の中心部に強い警戒信号が走った。これは佐里君が手紙の中で書いていた「あの人」の嗜好に合致する。怪物が好む容姿そのものだった。佐里君との共通点がはっきりしている。僕は興奮する心を抑えながら社長に訊ねた。
「余計なことかもしれませんが、社長、入社の面接をされるのは誰ですか?」
「会社のことで専務や部長に任せていることはイロイロありますが、人選びだけはやっぱり任せられません。河村さんもご存知のように、写植会社は人とその技術でもっているわけですし、もちろんうちも人選は社長である私が責任を持ってやっています」
「ずっとですか?」と僕は間髪を入れずに訊いた。
「そうですね、この三年ほど前からですか。兄から会社を引き継いで、その後私一人で選んでいます。けっこう最近の若い人は苦労を知らない我がままな人が多いので、結構大変ですわ」と社長は大変さを強調した。
「そういえば、最近のステップさんは大人しい人が増えましたね」と三ツ谷さんが言った。
「よく出来た子を探すのは難しいけど、私は見る目だけには自信があるので、その点に関しては大丈夫ですわ。この仕事は大人しくて責任感の強い子でないと務まりませんから、まあ、そのへんを見抜くのは大変ですが、この子は絶対に大丈夫ですわ」
 社長はそう言いながら新人オペレーターの白い顔と首筋を満足そうに目を細めながら眺めた。

 その瞬間、湧き起こった確信が一気にアドレナリンを呼び、激情へのスイッチが入った。怪物はこいつだ。
「白いというのも判断基準でしょ」と言うや否や、僕は椅子を後ろに跳ね飛ばし、テーブル向こうの社長の胸ぐらを掴んで、思いっきり突き飛ばした。
 あっけにとられた社長は僕の手首を掴むことも出来ずに、後頭部を後ろの壁にぶつけ、鈍い音を立てて倒れた。

 三ツ谷さんの手が僕の肩を掴んでいる。社長以外はいきなりの出来事に驚き、椅子から立ち上がっていた。社長がぶつかった余韻で、壁にかかっているモジリアニの額縁が揺れている。我に返った僕に、社長は一気に口を震わせながら言った。
「なんや、あんたは。理由もないのに暴力をふるいおって。得意先やから、何をしても良いんですか? 許しませんで、こんなこと」「そうでしょ、係長」と言いながら社長はワタリ係長にもキッと視線を向けた。僕は作った拳をいつまでも緩めることが出来なかった。
# by hosokawatry | 2012-01-06 14:41 | ブログ小説・あの蒼い夏に