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あの蒼い夏に〜チラシづくりの青春・38〜

                    


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 時には、楽しそうな友達同士はいいなと思いました。心を通わせることが大切な事くらいは僕にだって分っていましたから。だけど、そんな大切な友情のようなものでも、白い恐竜と天秤にかけてみると答えはいつも一緒でした。必ず選択するのは周囲との拒絶のほう。大切なことは絶対に白い恐竜と争わないことです。
 高校に通い始めてからも孤独でした。それからずっと同じです。河村さんから電話をもらうまで、本当にずっと。
 独りは淋しくはあるけれど、慣れてしまえば案外こちらのモノです。逆に交友関係のもつれがないだけ気楽だともいえます。最初から外れているわけですから、仲間はずれの心配などは絶対にありません。

 僕は空想の世界で遊ぶのが好きになりました。一人で本を読み、膨らんだ夢と遊び、密やかな自我の悦びに浸りました。ものの見事に「文字のある世界」に引き込まれたのです。
 コピーライターの河村さんのように、キャッチフレーズや広告の文案を考えることも好きでしたが、広告作りは自分だけの世界に閉じこもっていては出来ない事を知り、断念せざるを得ませんでした。
 簡単な打ち合わせを除けば、ほとんど誰にも言葉を交わさずとも文字に触れることが出来る仕事が「写植打ち」です。それは僕にとっては文字だけに囲まれた、贅沢な空間。けっして自分が好きな文章だけを打つことなど望めないけれど、それでもその職業は神様が僕に用意してくれたたったひとつの道だったように思えました。僕は親が進める大学への道を拒み、写植学校に進みました。

 もちろん写植の学校でも、特に仲の良い友達はできませんでした。そして、勤めていたステップ写植でも、ご存知のようにほとんど独りでした。ある時、間違えてはいけない重要な文字を打ち間違え、ミスプリントを起こしてしまいました。河村さんの会社の物件ではありませんでしたが、得意先から猛烈に怒られました。もちろん社長からもきつく注意を受けました。
 得意先からの意向もあり、その仕事の担当から外されました。僕は他人と仲良くなることへの自信はゼロですが、写植の仕事にだけは少なからず自負心がありました。だから僕にとっての仕事の失敗はその分だけ落ち込みも強烈でした。
 その後すぐに河村さんの会社の担当になりましたが、やはり集中できずに誤植が続き、叱責されることもたびたびでした。
 かろうじて僕を支えてくれていた「仕事にだけは自信があった」という最後の砦も崩壊寸前まで追い詰められたのです。誰にも相談できない毎日。身を固くしたまま、孤独に震え続け、遂には慣れていたはずの「独り」にも、耐えきれなくなりました。

 写植学校時代の仲間にマリファナを勧められて吸ったり、酒を沢山飲んだのもその時です。河村さんの電話の少し前のことです。全部ではありませんが、河村さんには話をしたことがありましたね。結局、彼らとの関係は長続きはしませんでした。そういう仲間と長続きしなかったことは逆に良いことだったわけですが、仲間との友人関係を保てない、自分の社会人としての未熟さを同時に思い知らされたわけです。

 薄暗いバーでは自分の顔の色も白くは見えないし、なぜか妙に落ち着きました。アルコールで陽気になることもできるし、お酒自体は全く嫌いじゃありません。アルコール度の強いズブロッカなども大好きです。昨年末の会社忘年会でそのことが知られてしまい、今年に入って会社のある人から飲みに行かないかと誘いを受けるようになりました。
 君は社会に対する適応能力が欠けていると、その人は指摘しました。特に協調能力はとても大事で、これから社会で生きていくためには必要不可欠なものだ、と教えてくれました。
 2回目に飲みにいった時も、アルコールが入った状況であったにしろ、年配者の経験に基づく話は僕をしっかりと頷かせました。きっとウィスキーソーダが美味しかったのでしょう。勧められるままに何杯も飲みました。

 僕は意識をなくし、バーからそのままその人に連れて行かれたのでしょう。記憶のない1〜2時間の後、奇妙な違和感が僕を目覚めさせました。これまでには味わった事のない感覚です。恐る恐る薄目を開けて現実をたぐり寄せると、僕たちはベッドの上で、その人の手は僕の肩を抱いていました。
 同性と一緒にベッドの上にいる自分。人には絶対に知られたくない行為です。早くその場から逃げ出さなくてはいけないと思いながらも、何故かそのままでいたいという不思議な感覚がそれを邪魔しました。僕の肩をしっかりと握りしめてくれている手の温もりと体内に居座るアルコールが、判断を鈍らせたのだと思います。
 そこに至る事情や理由はどうであれ、とにかく孤独だった心が解きほぐれていくようで、僕はその心地よさを確かに一度は受け入れました。ただし、それは一回限りのことで、望まない事故のようなものだったと、無理矢理自分を納得させました。

 しかし、その人はすぐに次を要求してきました。誤植や失敗で迷惑を繰り返すたびに「大丈夫、ワシが何とかする。心配しなくてもいいから」と誘いをかけてきました。誘いを断ると、「あまり言いたくはないけど、君はもう会社に必要じゃないかもな。会社に何度も迷惑をかけてるし、それに協調能力もないし」と、しつこく酒とホテルを強要しました。
 どうしても好きな仕事を奪われたくなかったので、二、三度付き合いましたが、さすがにそれ以上は許せませんでした。その人から夜のアパートに電話がよくかかってきました。「得意先の接待は終わったので今から深夜の食事に行くが、出て来ないか?」「今月も売り上げが伸びたので、お祝いに一杯どうや?」とか、様々な理由の誘いを受けました。
 河村さんのところに泊まり込んで大濠公園を走った頃、ほんの少し日焼けをしたのです。そうするとその人は、早速当日の会社帰りに日焼け止めローションをそっと手渡してくれました。僕が日焼けしていくのが堪らなかったのでしょうね。僕がその人に気に入られたのは「白いこと」だったのかもしれません。



 僕はロックグラスを取ろうと、手紙から目を離さないで机の上を手で探った。この部屋で佐里君が泊まった日に、佐里君の首筋に浮かんでいた内出血はその男からの望まないキスマークだったのだ。ロックグラスを掴んでウイスキーを一気に流し込んだ。グラスに付着していた水滴がぽたりと落ちて手紙を濡らした。



 小学生の「あの時」、白い恐竜が僕を支配するようになって以来、これも白いことに関することだとすれば、今夏が最大のピンチだったと思います。
 河村さん達とはこの「文字」の仕事は絶対に続けたいし、社員として続けるためにはその人とのデートも断れなくなってしまうでしょう。僕は迷い続け、結構お酒も飲みました。考えれば考えるほど出口の見えない深みにはまっていきました。 
 そんな時、河村さんが大濠公園を毎朝走ろうと言ってくれたのです。最初は戸惑いながらで、あまり気乗りがしませんでした。実際に走ってみると苦しかったけれど、しばらく感じたことのなかった充実感が残りました。
 河村さんが「走ろう」と言ってくれたのは、僕のためだということは最初から分っています。河村さんのアパートに泊まり込む案は、あの人の電話から僕を守るためという理由ではなかったでしょうが、とにかく三、四日間は逃れることが出来ました。
 しかし、会社ではあの人から逃れることが出来ません。僕はどこに泊まっているのかと詰問されました。河村さんのアパートに行けなくなった日は、実はその人に跡をつけられているのが判り、回り道をして自分のアパートに帰りました。
 すぐに僕のアパートのドアが長い間、何回もノックされました。耳を両手で塞いで、ノックの音が去るのをベッドの隅で鳥肌を立てながらうずくまり、待ち続けました。ノックの音がこれほど怖いものだとは。しばらくして静かになったと思ったら、今度は電話が鳴り始めました。音を避けようとバスルームに駆け込んでも、音は小さくなりながらもどこまでも追いかけてきます。あまりにも長く鳴り続けるベルについに正気を保てなくなってしまいました。
 バスルームを飛び出るとすぐに電話線を引き抜きました。僕はまた拒絶の道を選んだのです。今なら電話線を抜く前になぜ河村さんへ電話しなかったんだろうと思えます。しかし、恐怖心に駆られた時点ではそうすることしか出来ませんでした。
 
 僕には河村さんが「自分自身のため」じゃなくて、あかの他人である「佐里」のために、走るという行為を一緒に始めてくれたのだと確信しています。しかし、TVの値段間違いで迷惑をかけたり、河村さんの役に立つことなど少なかったのに、どうしてこんな僕のためにそこまで気を遣ってくれたのでしょうか。
 何故、利益になりそうもないことにまで、気持ち良く首を突っ込んでくれるのでしょう。僕には分りません。これまで、殻に閉じこもって、自分のことだけしか考えて来なかったからでしょうか。残念だけど、理解できません。だけど、これだけは言えます。河村さんが僕のためにやってくれようとしたこと自体は、きちんと僕の心に届いていたということです。一人じゃないという安心感と温かさで、涙が出るほど嬉しかったのです。
 河村さんはコピーライターなのに言葉ではなくて、心で伝えようとしますね。本当はコピーライターとしては、それではいけないのかもしれないけど、僕にはそのやり方が一番伝わりました。むしろ、僕もそのことを頭に置いて、もし次の人生があるならばそのような温かいコミュニケーションの方法を考えたいと思います。

 孤独だった僕の短い人生の最期に、人とのかかわり合いがこんなに素晴らしいものかと教えてくれた河村さんに感謝します。お返しも出来ずに立ち去ることをお許し下さい。今日は気分が良くて、こんなに文章が書けましたが、僕の中でまだ解決できていない部分や、話すべきかどうか結論が出せていない部分はそのままです。この次また、と思いますが。ごめんなさい、もう疲れました。

 もう一度お会いしたかった。そしてもう一度、河村さんと大濠公園を走りたかったです。                                      佐里
                   
by hosokawatry | 2011-09-19 12:00 | ブログ小説・あの蒼い夏に


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