あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・2〜


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「竹田さん、すみません。誘ってもらって」と僕は言った。
「大変だったな。まあみんな経験することだから、気にするなって」
 僕は2年先輩のコピーライター・竹田さんに誘われたのは中州のカクテルバーだった。竹田さんはマスターに「俺のタバコお願いします」と伝えると、濃紺のタバコ缶がカウンターに差し出された。竹田さんは両切りピースの片側を缶の蓋に3度「こん・こん・こん」とリズミカルに打ちつけ、火をつけた。

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 竹田さんは去年僕が入社した時は髪が長かった。最初見たとき、一時期、一世を風靡したグループサウンド、タイガーズのジュリーに似て、少し華やかな雰囲気を持つ人だと思った。文学部出身で詩を読み、洗練された文章を愛した。裸足でインディアンモカシンを履き、さまざまな舶来の高級スコッチウイスキー名を連呼した。しかし僕が見る時は、なぜかもっと値段の安い角瓶をいつも握りしめていた。ウイスキーを流し込みながら、マイルスやモンクの話を聞かせてくれ、チャーリー・パーカーのすごさを教えてくれた。
 タイトル作りには心を「グワッシ」とわしづかみできるような力が必要なのは確かだが、それは洗練されてなくてはならない。いいかい、一歩先行くリファインが大切なんだよ、と幾度も聞かされた。しかし、竹田さんは強力なセールタイトルを付けてくれとのクライアントの依頼に、「マンモスバーゲン」と真面目に応えたあたりから、『竹田さんの言葉』が何だか怪しく感じられるようになった。

 僕らが作っている「チラシ」の本名は「新聞折り込み広告」と、何やら由緒正しい出身を思わせるが、チンドン屋さんが練り歩きながら配っているあのチラシと同じだ。基本的には、こういった売り出しをいつからやるから来てくださいね、というお知らせを配布地域の不特定多数の人に案内するものだ。
 メインの仕事である量販店チラシの仕事は、12月の中旬に繁忙期のピークを迎える。スーパーや百貨店・専門店も年間最大の売り上げを誇る「歳末商戦」に突入し、クリスマス・大掃除・大晦日・迎春準備の消費需要で賑わう。クリスマス・年末年始のセール案内チラシをしっかりと新聞に入れようと思うのは、どの店・会社も同じだ。この時期にセールで負けることは許されないからチラシ折り込みも加熱する。一気に仕事量が増え、富士山のようになった原稿の山に頭を突っ込むようになる。量をこなすために帰宅できなくなることもあった。僕らの会社も印刷所も折り込み業者も、年末年始の休みを取らなくてはいけないので、スケジュールがさらにタイトになった。年明けの「成人の日セール折り込みチラシ」は前倒し制作が必要で、日付が2週間も前の大晦日セールと同時進行になるという訳だ。12月を迎えると僕らには2つの脳と4本の手が必要になった。

 竹田さんは入社したての僕に、「コピーライターもデザイナーも年末を経験して初めて、一人前になる」と言った。まわりの先輩連中もにやにやして僕を見た。「男としても一皮むけて、いい男になれる」とその中の一人が言った。結果、年末の修羅場を経験して、体重は3キロ減ったが、僕は一回り大きくなったといわれるようになった。もちろん実感などある訳が無い。
 
 12月も20日を過ぎ、仕事量もようやくピークを越えた頃、僕は夜の10時頃よろよろと版下を抱えてコピー部屋に入った。会社にあるコピー機は、想像を絶するほどの酷使にも耐え抜いてくれていたものの、紙づまりやトナー汚れによる停止状態もそれなりに多かった。その日は朝から何回もそれらの機能障害が起こり、みんな困っていた。事務機器屋の修理担当が昼間に一度現れたが、夕方からまたコピー機の機嫌が悪くなっていた。
 竹田さんが僕の前にコピーを取ろうとしていた。
「竹田さん、コピー動くんですね?」と僕は訊ねた。
「ああ」と言って、竹田さんは両手を出してコピー機を向こう側に押した。キャスターがついたコピー機は、車輪の鈍い摩擦音を立てながら確かに押された方向に動いた。
 振り向いた竹田さんの顔からは生気が欠け落ちていた。青黒い顔にはジュリーの面影はどこにも無かった。首筋に寒いものを感じた僕は怖くなり、慌てて言った。
「良かった、動いて・・・」
 僕はコピー機を押して動かす竹田さんや、ユニークな性格の人が多いおとぎの国のようなこの会社が大好きだった。

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  僕は竹田さんから教えてもらったドライマティーニを注文した。
「俺もマティーニね。めちゃ辛口でね」と竹田さんはマスターを見て言った。「ところで河村、花村店にいったんだろ、課長達と謝りに」
「はい、営業の湯浦さんは宮崎まで出張に出かけてるので、支店長が代わりに」
「で、やっぱり値引きか?」
「いえ、勘弁してもらいました」
「へぇ〜、花村店の店長は厳しい人だっていうじゃないの。間違いにだって」
「支店長と制作課長と制作担当が揃って、すぐに謝りに行ったから許してくれたんじゃないでしょうか・・・本当はなぜか分かりません」
 僕はジッポをこすってセブンスターに火をつけた。瞬間、オイルの匂いが漂った。
「やっぱり、支店長の力かな?」と、竹田さんは問題解決の糸口をいつものように支店長の能力に見つけようとした。「まあ、何はともあれ、よかったよ。お前初めてだろ?、値段の桁間違い」
「ええ」と言って僕は煙をふ〜っと吐き出した。
 そっと横目で、竹田さんの顔をうかがったら、前頭部の髪の毛が心もとなかった。社会人になってまだ4年目なのに、もう生え際を後退させたりするのだろうか?チラシづくりはジュリーの顔を確実に、大喜利に出てくる「顔の長い有名な落語家」に変えようとしていた。

 エラ・フィッツ・ジェラルドのはりのある豊かな声がカウンターで踊っている。
「このLPはベルリンで録音されたものですが、私は一番いい出来だと思いますね。私は好きです」とマスターが言った。
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by hosokawatry | 2006-08-06 16:55 | ブログ小説・あの蒼い夏に


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