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あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・3〜

                    

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「はい、お待たせ。こちらは辛口、竹田さん」
「サンキュー、マスター」と言って竹田さんはグラスを見つめた。
 マティー二は照度を抑えたカウンターで透明に輝き、表面張力で盛り上がっていた。僕はその感動的なマティーニに見とれた。
「マスターの店だけですよね、こんな山盛りで出てくるマティーニは?」
「河村、その言い方はないと思うよ。升や猪口で飲む日本酒じゃないんだ、マティーニは。山盛りという表現は似合わないよな」
 竹田さんは、そうですよねとマスターに目配せしてショートグラスに口を運んだ。僕も同じように口をカウンターのグラスに持って行き、こぼさないように表面を少し啜った。ズズッと音がした。竹田さんは「もう少しスマートに飲んでくれよな」という視線をよこした。

「河村、ドライマティーニのドライって、どういうことだか分かるか?」

 カウンター正面のスピリッツ類が並んだ棚を見ながら僕に訊ねた。棚にはウオッカやテキーラ、そしてドライマティーニに使うジンが並んでいる。
「ジンに加えるドライベルモットの量が少ないほど辛口になるって聞きました。辛口タイプのことをドライって言うんですよね」と僕は答えた。「通の人ほどドライを飲むって言いますが、竹田さんが注文するマティーニもそうなんでしょ?」
「ああ、俺は辛口しか飲まない」
「竹田さん用のはメチャ辛だって、マスターが言ってましたけど。僕なんかにはその美味しさが分からないんじゃないかって」
 僕はオリーブの実が入っているその透明なカクテルを舌ですくってみた。口中に広がる強烈な自己主張が喉に染みて行く。これでも凄いのに・・・。

「竹田さんのマティー二は、ドライベルモットを2〜3滴垂らすくらいです。エクストラ・ドライマティーニっていうんです」と蝶ネクタイのマスターが教えてくれた。
「じゃあ、僕のは?」
「河村くんのはドライジン4に対してドライベルモットは1です。普通ですね」
「普通ですか。普通じゃつまらないですよね。他人に胸張って『ドライマティーニ』飲んでるなんて大きな声で言えないな〜」と僕は言った。
「甘口・辛口のような好みの問題に、胸を張れる、張れないはないと思うけどな」と竹田さんは言った。
「しかし、ショートケーキが好きで10個は喰えるというより、ドライマティーニ10杯飲める方が胸を張れるとは思いませんか?男なら」僕は少しムキになった。
「そりゃそうかもしれないけど、この場合は好みの問題だし、少し違うね。あくまでもドライ度の問題、ドライベルモットの量の問題なんだ。好みの対象物が男らしいか、女らしいかではないんだ。ん〜、分からないかな?どちらが凄いかではないんだ、河村」と、竹田さんは少しいらだちながらも諭すように言った。
「そうは言っても男なら誰だって、よりハードなものをこなせる方が魅力的ですよね?」と、僕は食い下がった。
「それはそうだけど」
「肉体でいえば、走り幅跳び選手の筋肉みたいにビシッと締まっていた方が、野瀬課長の緩んだビヤ樽のような身体より魅力的ですよね」
「ああ」
「じゃあ、やっぱり甘口のマティーニを飲む男より辛口のマティーニを飲む男の方が格好いいんだ。辛口って、走り幅跳びの選手の筋肉のようにピシッと締まった感じがするし、まっすぐ伸びた背骨みたいで」と、僕は言った。「それに『通』っぽくて、辛口を飲む男ってかっこいいと思います。やっぱりその方が男らしい」と僕は言った。

「走り幅跳びとマティー二では話の土俵が違うと思うけど・・・。まあ誰だって高い能力や格好いいイメージを持ちたいとは思う。ふにゃふにゃした背骨がないミミズのような男より、そりゃ背骨をすっと伸ばしたライオンのような男になりたいと思う。当然だ。ドライマティーニ10杯は飲めなくてもな」と、竹田さんは言ってドライマティーニを一口流し込んだ。
「しかし、ミミズ=甘口、ライオン=辛口と見た目で決めつけてはいけない。そう思うと判断を誤ることがある。ミミズだって辛口のドライマティーニを飲むことがあるだろうし、ライオンが甘めのドライマティーニを飲む場合だってあると思う。ここで俺が言いたいのは、むしろミミズのほうこそ誰にも負けない超辛口を飲みたいのではないかということ。ライオン以上にだ。弱いものこそ強く見せたがる。おそらくミミズはジメジメした劣等感がそうさせているのだ。表面を必要以上にドライにみせたがっている」
「はぁ」
僕には話がよく飲み込めなかった。
「ライオンはこだわらなくてもいいように出来ている。いいよな〜、ライオンは」と竹田さんはそう言って新しい両切りピースに火をつけた。「強がらなくていいし、通ぶる必要もない」
立ち上る青い副流煙の行き先をじっと眺めた後、ゆっくり煙を吐き出し肺の中を空にした。そして肩を少しまわして僕を見た。
「なあ、河村」
「はい」
「俺はミミズだ。以前はジュリーだったが今ではチラシづくりに疲れたミミズだ。湿っている。だからつい『ドライ』に憧れてしまう。弱い。だから強いアルコールに憧れる。そう思わないか?」
 竹田さんは日焼けが沈着した黒い首筋をぽりぽりと掻いた。オーラのように巻き付いたピースの重い煙が揺れて乱れた。自分のことをジュリーだと言った竹田さんが可笑しかった。ジュリーがミミズになると言うのも何か変だ。僕にはそんな言葉を吐ける面白さはない。

「俺が最初に訊いた『ドライマティーニのドライ』の意味はそういうこと。俺の中の湿っている部分が『ドライ』を強烈に欲しがっているのかもな。いわば弱さ隠しだ」
「そんなにウェットだとは思わないですけど。考え過ぎじゃないですか? しかしよく飲み過ぎてウェッと吐いていますけどね竹田さんは」と僕はナーバスになっていたミミズの先輩に駄洒落を言った。
「三ツ谷さんのダジャレだな、その笑えないシャレは。しかし俺は湿っぽく見えない?本当かい?」
「はい、竹田さんにはミミズの湿気も陰険さも感じません。むしろ、営業の湯浦さんにそれを感じます。未だに入社間もない時のことをねちねち言います。僕が作ったチラシで、1玉メロンの掲載写真が横のスイカ1玉の写真よりも大きかったので、校正のとき青果担当の人に注意を受けたそうです。それ以来、ことあるごとに『スイカとメロンはどちらが大きいとや?』と僕を小馬鹿にします。まあ、慣れたからいいけど、湯浦さんなんか完全に湿っていますね」
「塩をかけると面白いかもしれないな」
「それはナメクジでしょ」
「ははは、そうだったな。じゃあ、おしっこでもかけるか。俺のが腫れて大きくなったらもうけもんだし」と、竹田さんの表情に再び血が通い始めた。竹田さんも湯浦さんからなんらかの嫌がらせをうけていたのかもしれない。

 竹田さんは笑うと同時にミミズの気持ちから立ち直った。マティーニのドライ度を気にするよりも、人間性や能力についてもっと考えるべきだと言った。「ドライ度」よりも「プライド」だ。男らしさが大切だと思うならチャンドラーを読めとすすめた。そして『男はタフでなくては生きて行けない。優しくなくては生きていく資格がない』と言うセリフは、チラシづくりの男たちへ捧げる言葉でなくてはならないと。

 僕はまだ睡眠不足から解放されていなかった。誘ってくれた竹田さんも100%の体調ではなかったので早めにカクテルバーを引き上げた。店の外はヌメッとした湿気が舌を出して待っていた。圧倒的な湿度。ミミズが喜びそうな梅雨の7月。月は出ていない。解決できないことが多すぎる。僕は中州のネオンの下で竹田さんにお礼を言って、午前0時半の深夜タクシーに身体を沈めた。
「人間の背骨、い、いやバックボーンについてのこと、ハートの問題については三ツ谷さんに相談するといいかもしれない。あの人は冗談ばかり言っているが、分かってる人だ。九州男児だ」と別れ際に竹田さんは言った。
by hosokawatry | 2006-08-25 19:09 | ブログ小説・あの蒼い夏に


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