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あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・10〜




                    10


 これまで僕たちは冷泉公園横の屋台を良く利用した。いつも、3軒並んでいる中の「晴照」のノレンをくぐった。深夜に仕事が終わった後は、空かした腹を抱えて直行した。屋台の長椅子に座り込むと、胃袋を満たしながら心に鬱積したものを追い払い、ヒートアップした脳味噌の熱を冷ました。僕たちは必ずおでんを食べ、ホルモン焼きを噛み締め、ビールと焼酎をぐいぐい流し込んだ。そして最後には必ず豚骨ラーメンすすった。ラーメンを食べる頃になると、お客さんを連れた中洲のお姐さんたちが顔をよく覗かせた。「へぇ〜、さっきまで仕事してたの? 感心だわね」と純粋にエールをおくってくれたりした。
 休日前ははしご酒の締めくくりに、屋台をたたむまで飲み続けた。夜明けが早い夏場は白じむ空の下、千鳥足で彷徨いながら帰宅のタクシーを探した。
 勘定を済ます時にはよく「今日の気持ちは晴れたね?」と「晴照」の大将は僕に訊ねた。勤労精神が旺盛な僕や仲間たちを気遣ってくれる言葉だった。


 今夜の「晴照」は雨の中だった。普通、強く雨が降る日には屋台は出ないが、今日は3軒のうち2軒が営業していた。僕は「晴照」と白抜きにされたオレンジ色のノレンを分け、傘をたたみながら中に入った。

「開いてて良かった。雨だったので、少し心配しました」と僕は言った
「やあ、衆ちゃんかい、いらっしゃい。今日はあんたンために開けとったようなもんタイ。客はさっき来とった『前ちゃん』ぐらいのもんやね」
 僕を名前で呼んでくれるのが三ツ谷さんと晴照の大将の二人だ。三ツ谷さんに最初に連れて来られた時に、衆也と言う名前を大将に教えたら、それ以来「衆ちゃん」と呼んでくれている。先ほど顔を出したという、今年入社してきた営業の前田も「晴照」のファンだ。独身寮に帰る前にときどき立ち寄るという話を聞いたことがある。性格が素直なところが受け、得意先だけではなく屋台の大将や女将さんにも三ツ谷さん同様、人気がある。

「夕方近くまで、雨降っとらんやったし、今夜はさっと降って、さっと上がると思うたから、店を開けたとに」と、大将は首をひねるしぐさをした。そして「雨ん中でも『晴照』が店を開けとるとも格好良かろう? 嵐の中の灯台タイ。暗い中でも希望が湧くやろうが」と負け惜しみを言った。「ところで、仕事は終わったとね?」
「いいえ、これから第2ラウンドです」
「大変やね、いつも」と言って、大将はつめたい水が入ったコップを差し出した。

 僕は勢いよくラーメンをすすって、ネクタイを緩めながら白濁したスープを飲んだ。大将の気合いに負けたのか、食べている途中に雨は勢いをなくし、いつの間にか屋台を叩く音が小さくなった。
「この調子やったら、すぐに雨は上がるバイ」腕を組んで外の冷泉公園を眺めていた大将が言った。「朝の来ない夜はない。降り止まん雨はなかとバイ。ハハハ、俺の勝ちタイ」

 僕はポケットの中の小銭を探った後、おでんの持ち帰りを大将に頼んだ。夏のおでんも結構旨いし、捨てたものじゃない。人の心は、夏だって温かさを求めることが多い。僕はアルバイトの若い女性たちが夕食をとらないで仕事を続けているのを知っている。
 大将は持ち帰り容器におでんを詰めてくれた。そのおでんの量は有り合わせの小銭の能力を軽く超えていた。
「こぼさんようにね」
「大将、ありがとうございます。いつもすみません」と僕は言った。
「いい男やね、あんたは」と大将は小さく呟いた。

 アルバイトの米田さんの笑顔が頭に浮かんだ。喜んでくれることが嬉しい。一緒に仕事をするという意味を僕はつかみかけていたのかもしれない。
 温かいおでんを手に持ったまま赤信号で僕は立ち止まった。
「衆ちゃん、傘忘れとるバ〜イ」と屋台から大将の声が聞こえた。
 大将が言ったように雨は上がってしまった。屋台「晴照」の灯りの前で大柄なシルエットが傘を振っている。電線から雫がぽたりと垂れて、僕の頬を触った。雫はもう冷たくはなかった。


「わ〜、おでんだ。ありがとう」と3人の女性アルバイトの顔がぱっと明るくなった。
「うれし〜、餅巾着が入ってる。7月のおでんもいいわね」と米田さんが言った。「けど、あまり無理しないでくださいね。河村さん、先週も牛丼ジャンケン負けてたし」


 若い僕たちはジェットストリームがラジオから流れる頃になると、夜食・夜食と騒ぎ出す。牛丼ジャンケンが始まったのは去年の冬が最初だった。寒いし出かけるのが面倒だからと、上川端商店街そばの牛丼買い出しを決めるためにジャンケンをした。10人分にもなる牛丼とみそ汁を抱えて、みそ汁が溢れないように持って帰るのは、けっこう骨が折れることだった。みんな負けたくなかったが、誰か必ず一人が犠牲者になった。雨の日、風の日、雪の日にはジャンケンの声がいっそう大きくなり、真剣味が増した。深夜の職場の空きスペースで、大勢が丸くなってジャンケンをしている会社を見つけ出すのは難しいはずだ。僕の会社以外では。

 それに若さは次々に賭けをエスカレートさせた。気がつけば、10人分以上の牛丼セット代をジャンケンで負けた人が一人で払うようになっていた。もちろん、買い出しもその人間が行く。ジャンケンをするその瞬間は先輩も後輩もなくなる。繁忙期を迎えると、まるで、ジェームス・ディーンの理由なき反抗に出てくるチキンゲームのような、ハラハラ、ドキドキの日が続く。
 勝てば牛丼一杯をただで食べることが出来るが、負けたら10数杯の牛丼代を負担しなければならない。負ける確立の方が低いとはいえ、買った喜びより負けた悔しさの方が格段に大きい。割の合わない勝負に思えることもある。しかし、怖いけれど男の勇気に関するプライドが棄権を許してくれなかった。

 負けた時は涙が出そうなくらいに悔しい。10万円にも満たない給料の中から、時には4〜5千円が一瞬にして消えていくからだ。先週、僕は最後の3人の勝負で「チョキ」を出した。残りの二人は固く拳を握りしめていた。力が入りすぎた人は「グー」を出すことが多いということを、瞬間忘れていた。僕は「チョキ」をののしり、自分のふがいなさを呪った。



「大丈夫だよ。今日もおまけしてくれたんだ。『晴照』の大将が素敵な女性たちによろしくだって」
「今度、お給料出たら河村さんたちと一緒に行っていい?」
「大将が喜ぶだろうな、若い娘が行けば」と僕は大将の鼻の下の長さを思い浮かべた。

 席に帰ると青焼き校正用紙が机の上に置いてあった。僕が担当する花村店の来週売り出しチラシの印刷前最終チェック用紙だった。僕たちが苦労して作った版下は、印刷にまわる前に製版という工程を踏む。製版は簡単に言えば、版下を撮影してフィルムにする工程だ。この出来上がった製版フィルムに間違いがないかどうかチェックする用紙が「青焼き」とか「アイ焼き」とか呼ばれる用紙だった。
 訂正がきくのは、この青焼きチェックが最後だった。ここでミスを見逃すと、間違えたまま印刷物になってしまうのでとても気を使うチェックになる。野瀬課長の「間違わんでくれ、たのむわ」と言い続ける声が頭に貼り付いている。僕はチラシに掲載されているTシャツや牛サーロインステーキの文字や値段、そして商品の写真を黄色のマーカーで塗りつぶしてチェックしていった。
 最後に売り出し日の確認や花村店の店名ロゴチェックを終わり、紙面の端にサインをした。

 それから、例の8月いっぱいで作り上げるように言われている「年末年始合同チラシ」の表現案作成に取りかかった。アイデアをいくつか書き留めたものの、納得のいくものが思いつかなかった。コピー年鑑を眺めたり家庭画報や太陽、アンアン、そして昨年発刊されたポパイにまでヒントを求めた。最終バスの時間まで粘ったが、頭の中のフィラメントに点灯することはなかった。本当は、ヒントが隠されているのに、見つけ出すことが出来なかっただけなのかもしれない。僕は力なくノートを閉じ、午前様になる先輩にあいさつをして会社を出た。最終バスにまで急かされる。外したネクタイを手に持ち、ところどころに水たまりのある舗道をよけながらバス停まで走った。



僕は深夜のアパートのドアを静かに閉めた。灯りのスイッチをいれると、新聞受けに切手の貼られていない一通の手紙が入っているのが見えた。
by hosokawatry | 2006-12-18 01:39 | ブログ小説・あの蒼い夏に


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