あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・11〜




                    11

  
 洋封筒の裏に小さく「かすみ」と名前が書いてあった。封止めに涙を流しているピエロのシールが貼られている。僕は手紙と鍵を机の上に置き、首にかけていたネクタイを衣装ロッカーに仕舞った。夏の間は帰宅すると最初にシャワーを浴びるのだが、涙を流しているピエロのシールが優先順位を狂わせた。

 僕はアルバムジャケットからLPレコードを抜き出し、針を落とした。すぐにヘレン・メリルのハスキーな歌声が流れ始め、部屋はニューヨークのため息で満たされた。

 製氷皿から氷を取り出し、1オンスのホワイト・ウイスキーをロックグラスに注いだ。そしてグラスの中を人差し指で時計回りに3回転したところで止めた。
 アルコール度が40度を少し下回ったホワイトを一口すすり、机の端にグラスを置いた。コトッと音を立てたグラスはすぐに曇り始めた。4時間前まで降り続いていた雨は、今日も部屋の中に湿気を置き忘れていってしまっている。アンプのボリュームを絞り、そのありがたくない忘れものを外に放り出すためにベランダのガラス戸を開けた。
 しようがない天気ね、とヘレン・メリルが歌ったような気がした。僕は生まれたばかりの7月13日にむかってふぅ〜っと抗議のため息をついた。しかし抗議はすぐに却下され、夜空に飲込まれては虚しく消えた。
 暑い、蒸し暑い。

 僕は封筒の中の手紙を切らないように慎重にハサミを入れた。



こんばんは、河村クン。

なかなか会えなくて、ついに手紙なんか書くはめになってしまったようです。
というのは、一昨日の夜も昨日の夜も何度も何度もTELしたんだけど、
河村クンはいなかったし。クスン(涙)。
それにもめげずに、今日こそは絶対に連絡しなくてはと思い、
滅多に握ることのない「重い?(想いがこもったもんだぞ)ペン」を握りました。
ふ〜。

あまり文章が上手くないので、手紙書くことは好きではないけど
連絡の方法が他にないので…しかたないのだ。
バカボンのパパみたいだけど。

ところで、この前、河村クンが言った「追い山」を徹夜で見る話、憶えていますか?
ワタシはその7月14日をず〜っと心に抱えていたんです。

実はやっとの思いで、夜の外出を認めてもらえたのです、ジャ〜ン。
なんとワタシは生まれて初めて父を説得することが出来たんです。
東京の大学に通ってる親友が夏休みで帰って来てて、学生生活も最後だし
ぜひ一緒に追い山を見たいと言って来たと…、ウソついて。
河村クンには分からないかもしれないけど、けっこうスリルあるのよ、
警察官の親をだますのって。
…本当に大変なんだから。
石頭の警察官を父親にさえ持たなかったら、21才の私の人生も
もっと、もっと変わっていたと思うのだけど。

まあ、親へのグチはそこまでにして、本題、本題。

バイトの花屋さんも次の日は出なくていい日だし、
あさって未明の「追い山」、一緒に見ませんか?
屋台でお酒飲んで、手をつないで博多祇園山笠のクライマックス見て。
河村クンは翌日仕事だけど、大丈夫よね。
「僕はこう見えてもけっこう強いんだ」って、よく言ってるし。

ワタシ、 エル・クレハのピザもいいけど、屋台で焼き鳥とかラーメンとかも食べたいし、
とにかくスゴく楽しみなんだけど…。
明日の夜、河村クンが時間とれることに賭けています。

明日の午前中は花屋さんにいますから、絶対にTELください。
待ってます。
河村クンは平日の夜、偶然にデートができたときに
「神様がさいころの振り方を間違えただけだよ」って言ったことがあったけど、
また、神様に同じさいころの振り方をリクエストしなくっちゃ!
同じ目が出ますようにって。

いい返事くれるといいな。

いつも、遅くまで頑張り過ぎて、大切なもの(?)をなくさないように気をつけましょうね。
余計なことかな、へへっ、ごめんなさい。                 かすみ

GOOD NIGHT 



 封を止めていたシールの涙を流しているピエロには心配させられたが、それは杞憂に終わった。しかしかすみは明らかに「あるサイン」を送っていた。彼女が僕からの連絡不足に怒っていることを感じることが出来た。全てを仕事の忙しさのせいにしている僕への抗議がピエロの涙だったのだ。彼女からのサインを見逃さなかったことに安堵した。
 ボーンヘッドはいつだって後ろに破滅という大物を連れて歩いている。チラシの「ゼロ」をひとつ抜かしただけで、身の回りのすべてが腰を抜かして仰天することを体験したばかりだった。間違いは許されないし、「あるサイン」が発するメッセージも絶対に見逃せない。今、その学習効果は僕の中で間違いなく発揮されたのだ。
 ホッとしながらもう一度文末に目をやると、「大切なもの(?)をなくさないように気をつけましょうね」という口を尖らせたフレーズが今度は可愛く迫って来た。

 ホワイトの入ったグラスをゆっくりと傾けた。ウイスキーをこれまでになく美味しく感じた。僕はタバコに火を付け、思いっきり吸い込んだ煙を細く長く吐き出した。もう一度思いっきり吸うと、タバコの巻き紙がチリチリと快活な音を立てて燃えながら笑った。


 もちろん明日の夜の神様には、またさいころの振り方を間違えてもらうつもりだ。


 僕はベッドに寝転がり、封筒に一度しまった便せんを取り出しては幾度も目を通した。そして暗記できるほどに読み重ねた便せんを顔の上に乗せて、デートのイメージトレーニングを続けた。イメトレ3回目を終える頃には、アルコールが送りつけた睡魔が僕の五感にベールを掛け始めていた。想像に疲れた僕の意識は、次第に色を失いはじめた。風のない夜の重さをまぶたに感じながら、ゆっくりと幸せな眠りに落ちていった。

 LPレコードのB面を走り終わったオートリターンの針は、僕の眠りを追うようにそっと盤面を離れ、ヘレン・メリルは静かにドレスの裾をひるがえした。
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by hosokawatry | 2007-01-19 01:36 | ブログ小説・あの蒼い夏に


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