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2007年もやさしく歌って!

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仕事が忙しかったなど、
言い訳をしないように自らを戒めます。
一週間何も更新されてなかったと
いうことがないように
左手にムチを持ちながら物語作りに励む予定です。

今年もよろしくお願いいたします。
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by hosokawatry | 2006-12-31 16:32 | やさしく歌って・自由日記

あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・10〜




                    10


 これまで僕たちは冷泉公園横の屋台を良く利用した。いつも、3軒並んでいる中の「晴照」のノレンをくぐった。深夜に仕事が終わった後は、空かした腹を抱えて直行した。屋台の長椅子に座り込むと、胃袋を満たしながら心に鬱積したものを追い払い、ヒートアップした脳味噌の熱を冷ました。僕たちは必ずおでんを食べ、ホルモン焼きを噛み締め、ビールと焼酎をぐいぐい流し込んだ。そして最後には必ず豚骨ラーメンすすった。ラーメンを食べる頃になると、お客さんを連れた中洲のお姐さんたちが顔をよく覗かせた。「へぇ〜、さっきまで仕事してたの? 感心だわね」と純粋にエールをおくってくれたりした。
 休日前ははしご酒の締めくくりに、屋台をたたむまで飲み続けた。夜明けが早い夏場は白じむ空の下、千鳥足で彷徨いながら帰宅のタクシーを探した。
 勘定を済ます時にはよく「今日の気持ちは晴れたね?」と「晴照」の大将は僕に訊ねた。勤労精神が旺盛な僕や仲間たちを気遣ってくれる言葉だった。


 今夜の「晴照」は雨の中だった。普通、強く雨が降る日には屋台は出ないが、今日は3軒のうち2軒が営業していた。僕は「晴照」と白抜きにされたオレンジ色のノレンを分け、傘をたたみながら中に入った。

「開いてて良かった。雨だったので、少し心配しました」と僕は言った
「やあ、衆ちゃんかい、いらっしゃい。今日はあんたンために開けとったようなもんタイ。客はさっき来とった『前ちゃん』ぐらいのもんやね」
 僕を名前で呼んでくれるのが三ツ谷さんと晴照の大将の二人だ。三ツ谷さんに最初に連れて来られた時に、衆也と言う名前を大将に教えたら、それ以来「衆ちゃん」と呼んでくれている。先ほど顔を出したという、今年入社してきた営業の前田も「晴照」のファンだ。独身寮に帰る前にときどき立ち寄るという話を聞いたことがある。性格が素直なところが受け、得意先だけではなく屋台の大将や女将さんにも三ツ谷さん同様、人気がある。

「夕方近くまで、雨降っとらんやったし、今夜はさっと降って、さっと上がると思うたから、店を開けたとに」と、大将は首をひねるしぐさをした。そして「雨ん中でも『晴照』が店を開けとるとも格好良かろう? 嵐の中の灯台タイ。暗い中でも希望が湧くやろうが」と負け惜しみを言った。「ところで、仕事は終わったとね?」
「いいえ、これから第2ラウンドです」
「大変やね、いつも」と言って、大将はつめたい水が入ったコップを差し出した。

 僕は勢いよくラーメンをすすって、ネクタイを緩めながら白濁したスープを飲んだ。大将の気合いに負けたのか、食べている途中に雨は勢いをなくし、いつの間にか屋台を叩く音が小さくなった。
「この調子やったら、すぐに雨は上がるバイ」腕を組んで外の冷泉公園を眺めていた大将が言った。「朝の来ない夜はない。降り止まん雨はなかとバイ。ハハハ、俺の勝ちタイ」

 僕はポケットの中の小銭を探った後、おでんの持ち帰りを大将に頼んだ。夏のおでんも結構旨いし、捨てたものじゃない。人の心は、夏だって温かさを求めることが多い。僕はアルバイトの若い女性たちが夕食をとらないで仕事を続けているのを知っている。
 大将は持ち帰り容器におでんを詰めてくれた。そのおでんの量は有り合わせの小銭の能力を軽く超えていた。
「こぼさんようにね」
「大将、ありがとうございます。いつもすみません」と僕は言った。
「いい男やね、あんたは」と大将は小さく呟いた。

 アルバイトの米田さんの笑顔が頭に浮かんだ。喜んでくれることが嬉しい。一緒に仕事をするという意味を僕はつかみかけていたのかもしれない。
 温かいおでんを手に持ったまま赤信号で僕は立ち止まった。
「衆ちゃん、傘忘れとるバ〜イ」と屋台から大将の声が聞こえた。
 大将が言ったように雨は上がってしまった。屋台「晴照」の灯りの前で大柄なシルエットが傘を振っている。電線から雫がぽたりと垂れて、僕の頬を触った。雫はもう冷たくはなかった。


「わ〜、おでんだ。ありがとう」と3人の女性アルバイトの顔がぱっと明るくなった。
「うれし〜、餅巾着が入ってる。7月のおでんもいいわね」と米田さんが言った。「けど、あまり無理しないでくださいね。河村さん、先週も牛丼ジャンケン負けてたし」


 若い僕たちはジェットストリームがラジオから流れる頃になると、夜食・夜食と騒ぎ出す。牛丼ジャンケンが始まったのは去年の冬が最初だった。寒いし出かけるのが面倒だからと、上川端商店街そばの牛丼買い出しを決めるためにジャンケンをした。10人分にもなる牛丼とみそ汁を抱えて、みそ汁が溢れないように持って帰るのは、けっこう骨が折れることだった。みんな負けたくなかったが、誰か必ず一人が犠牲者になった。雨の日、風の日、雪の日にはジャンケンの声がいっそう大きくなり、真剣味が増した。深夜の職場の空きスペースで、大勢が丸くなってジャンケンをしている会社を見つけ出すのは難しいはずだ。僕の会社以外では。

 それに若さは次々に賭けをエスカレートさせた。気がつけば、10人分以上の牛丼セット代をジャンケンで負けた人が一人で払うようになっていた。もちろん、買い出しもその人間が行く。ジャンケンをするその瞬間は先輩も後輩もなくなる。繁忙期を迎えると、まるで、ジェームス・ディーンの理由なき反抗に出てくるチキンゲームのような、ハラハラ、ドキドキの日が続く。
 勝てば牛丼一杯をただで食べることが出来るが、負けたら10数杯の牛丼代を負担しなければならない。負ける確立の方が低いとはいえ、買った喜びより負けた悔しさの方が格段に大きい。割の合わない勝負に思えることもある。しかし、怖いけれど男の勇気に関するプライドが棄権を許してくれなかった。

 負けた時は涙が出そうなくらいに悔しい。10万円にも満たない給料の中から、時には4〜5千円が一瞬にして消えていくからだ。先週、僕は最後の3人の勝負で「チョキ」を出した。残りの二人は固く拳を握りしめていた。力が入りすぎた人は「グー」を出すことが多いということを、瞬間忘れていた。僕は「チョキ」をののしり、自分のふがいなさを呪った。



「大丈夫だよ。今日もおまけしてくれたんだ。『晴照』の大将が素敵な女性たちによろしくだって」
「今度、お給料出たら河村さんたちと一緒に行っていい?」
「大将が喜ぶだろうな、若い娘が行けば」と僕は大将の鼻の下の長さを思い浮かべた。

 席に帰ると青焼き校正用紙が机の上に置いてあった。僕が担当する花村店の来週売り出しチラシの印刷前最終チェック用紙だった。僕たちが苦労して作った版下は、印刷にまわる前に製版という工程を踏む。製版は簡単に言えば、版下を撮影してフィルムにする工程だ。この出来上がった製版フィルムに間違いがないかどうかチェックする用紙が「青焼き」とか「アイ焼き」とか呼ばれる用紙だった。
 訂正がきくのは、この青焼きチェックが最後だった。ここでミスを見逃すと、間違えたまま印刷物になってしまうのでとても気を使うチェックになる。野瀬課長の「間違わんでくれ、たのむわ」と言い続ける声が頭に貼り付いている。僕はチラシに掲載されているTシャツや牛サーロインステーキの文字や値段、そして商品の写真を黄色のマーカーで塗りつぶしてチェックしていった。
 最後に売り出し日の確認や花村店の店名ロゴチェックを終わり、紙面の端にサインをした。

 それから、例の8月いっぱいで作り上げるように言われている「年末年始合同チラシ」の表現案作成に取りかかった。アイデアをいくつか書き留めたものの、納得のいくものが思いつかなかった。コピー年鑑を眺めたり家庭画報や太陽、アンアン、そして昨年発刊されたポパイにまでヒントを求めた。最終バスの時間まで粘ったが、頭の中のフィラメントに点灯することはなかった。本当は、ヒントが隠されているのに、見つけ出すことが出来なかっただけなのかもしれない。僕は力なくノートを閉じ、午前様になる先輩にあいさつをして会社を出た。最終バスにまで急かされる。外したネクタイを手に持ち、ところどころに水たまりのある舗道をよけながらバス停まで走った。



僕は深夜のアパートのドアを静かに閉めた。灯りのスイッチをいれると、新聞受けに切手の貼られていない一通の手紙が入っているのが見えた。
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by hosokawatry | 2006-12-18 01:39 | ブログ小説・あの蒼い夏に

あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・9〜


                    9


                    *

 新聞折り込み広告は、まだカラー印刷が少ない。チラシの制作コストと製版・印刷のコストが高く、どの企業も簡単にカラーのチラシに手が出せなかったからだ。1色印刷・2色印刷が主流で、写真はもちろんモノクロだ。スーパーのチラシも有名なナショナルチェーン以外はカラーではなかった。唯一、オープン記念セールや年に一度の周年感謝セールだけがカラーのチラシだという企業が多い。もちろん恵屋もそのパターンだった。

 僕の会社の組織は大きく分けると、営業と企画という2つの部署で構成されていた。チラシ作りが仕事の大半を占めたので、僕たちは自分たちのことを「企画担当」というより「制作担当」と呼んだ。メインの得意先であるスーパーやショッピングセンターは毎週チラシを作るので、まず、その原稿入手と打ち合わせのために営業が得意先の店に出向く。ビッグセールや特殊なセールの場合には、僕たち企画の人間も一緒に出かけた。

 売り出し商品名・特長・値段・限定数量などが書かれた原稿を、その店の店長やフロア長とチェックしながら、チラシのレイアウトや商品訴求のポイントを打ち合わせる。今週は夏物ワンピールをメインで打ち出すとか、日替わり目玉品はTシャツだから目立つように、食品は卵を一番上に配置するとか、そういった打ち合わせだ。

 営業が持ち帰った原稿用紙と打ち合わせ内容をもとに、僕たちはレイアウト用紙に全容をペンでスケッチする。紙面のどの場所にどの商品を配置するかを書き込み、その大きさも指定する。書き上がったものはチラシの設計図となり、それをもとに写植屋が写植文字を打ち上げ、カメラマンは売り出し商品の撮影に走る。

 僕たちは打ち上がってきた写植の印画紙の裏にラバーセメントという糊をつけ、文字の固まりごとにデザインカッターで切り離した。ピンセットでそれらの写植文字を、あらかじめ「カラス口」や製図ペンの「ロットリング」で罫線が書き込まれている台紙に貼り込んでいく。貼り込まれたものが文字版となった。

 その台紙の上に透明のフィルムをかけ、写真を貼り込んで写真版を作った。モノクロ写真は、その印画紙に写り込んだ商品のカタチ通りにハサミやデザインカッターで切り抜き、両面テープで貼り込んだ。僕はバナナや葉っぱの付いたパイナップル、そして卵の10個入りパックなど、複雑なカタチの切り抜きが苦手だった。いつもアルバイトの米田さんに手伝ってもらった。「黒くてでかい裁縫バサミ」を操るコピーライターというのも、何か変だし怪しい感じがするが、みんなやっていたから文句は言えない。

 紙面作りは空間バランスやデザイン感覚も試された。グラフィックデザイナーの華やかな仕事の領域だ。しかし、出来上がりの印刷物に比べ、印刷前の版下制作はとても地味だった。それは十分の一の美しい表面を支える水面下の氷山であり、その姿からは想像できない水面下で激しく動く水鳥の足でもあった。

 版下に罫線や図形を書き込む作業には精度が求められ、1ミリ間隔の中に10本もの線を引けなければ一人前のデザイナーではないとまで言われた。誰でもがそのテクニックを身につけられるほど、簡単ではなかった。年季が必要だった。美しい罫線を引く職人技には拍手が贈られ、賞賛の声が降り注いだ。

 僕は芸術学部やデザインスクール出身ではないので、線引きのテクニックなど持ち合わせてはいなかった。コピーライターだからやることは他にもある。というより、むしろ、版下作業以外に力を注がなければいけない職種だ。デザイナーやアルバイトの人にお願いして、綺麗な線を引いてもらっていた。そうやって、ひとつの版下が完成するまでには、数多くの人手が必要だった。
 そんな版下だから、レイアウトのスペース変更になると、徒労に終わった無力感と絶望感に支配されてしまう。自分の手間もたいへんだけど、版下に関わる全ての人が再度、時間と労力を工面しなくてはならないのだ。とても短い時間内で。
 版下の全面変更には、夜がストップウォッチを握りしめて待っている。だから僕たちは、完成間近のジグソーパズルを猫が壊した時のように、寛大な気持ちになどなれるはずはなかった。ワタリ係長のように「ア〜カ、ア〜カ、真っ赤っか」と大きな声で歌いたくもなる。

                    *


 カメラマンが撮影した写真を現像し、プリントしてくれるのが小林写真場だった。そして、繁忙期には深夜の注文にも快く応えてくれたのが富士さんだった。
「今回の分は少しアンダー目に焼き上げました」と言って、富士さんは僕に写真の紙焼きを手渡してくれた。緊急に社員が撮影した露出不足や露出オーバーのネガからも、最適な濃淡の調子を見つけ出し、手を加えて印画してくれた。「正月以外でも富士さんからは後光がさすバイ」と三ツ谷さんが言ったことがあった。日本国家同様、僕にとっても富士さんの存在は頼もしかった。
 
 
 モノクロ写真を受けとり、会社に帰り着くと同時に大粒の雨が降り出した。受付担当の事務の女性、山口さんが僕に一件電話があったことを教えてくれた。ステップ写植の佐里君からだった。
 僕は山口さんにありがとうと言って3階に駆け上がった。自分の席に帰るとすぐに内線電話が鳴った。僕は内線音に素早く反応した。
「三ツ谷さんに恵屋の宮崎店から電話が入っています。3番です。」と山口さんから電話取継ぎの声が聞こえた。

「ウルトラマンさん、宮崎店から電話です。3番です」と僕は言った。
三ツ谷さんはすっと立ち上がり、自分の席の電話機に手を伸ばしてガッシと掴み、天井に向かい腕を突き上げて言い放った。

「ジュワッキ」

 藤木女史が顔を上げて、また冗談言ってるわ、と今週2回目のギャグに応えてくれた。竹田さんもその絶妙さに笑っている。野瀬課長は「また、三ツ谷のやつしょうもないこと言うてるわ」という顔をした。永野さんは反応を見せずにスケッチに専念している。上の句を詠めば下の句に反応してくれる三ツ谷さんは、会社の貴重なムードメーカーでもあった。しかし会社はムードメーカー料を三ツ谷さんには支払っていない。



 僕はステップ写植に電話して、佐里君を出してもらった。
「電話くれたんだって?」
「はい、さっき」と佐里君は小さな声で言った。「すみません、テレビの値段の件」

「ああ、分かりました。大変でしょうけど頑張ってください。また、夜にでもこちらから電話します」と僕は大きな声で遮って、すぐに受話器を置いた。佐里君との話の内容を周りに聞かれたくなかったのだ。

 午後8時頃にやっと仕事が一段落した。僕は「晩飯食ってきます」と周りに告げて外に出た。粒の大きい雨は、まだ降り続いていた。冷泉公園の角の電話ボックスに入り、ステップ写植に電話を入れた。
「先ほどは悪かったね、すぐに切ってしまって。他の人に聞かれたくなかったんだ」
「はっ?」と、か細い声が聞こえた。
「全ては、問題なく片付いたから大丈夫だよ、もう」と僕はいつもよりゆっくりと明るい声で言った。
「早く謝らなくてはと思っていたんです。本当です」
「いいんだよ、佐里君の気持ちはよく分かっているから。ところで、また今度暇な時にでも一杯飲みに行こう」
「ありがとうございます」と、白くて細い身体を持ち、少年の面影を宿す20才の佐里君は言った。「何回もやってしまって…」
 僕には佐里君の受話器を握りしめている力が想像できた。

 僕は電話ボックスを出ると、そのまま冷泉公園を横切って急ぎ足で屋台に向かった。春を明るく楽しませてくれた桜の枝が雨に打たれて騒がしい。照度不足の街路灯が雨筋を忙しく数えている。飛び跳ねる雨に綿パンの裾は濡れて色を変え、靴下まで染みはじめていた。夏の雨なのになぜか冷たく感じた。
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by hosokawatry | 2006-12-10 13:26 | ブログ小説・あの蒼い夏に

花の妖精に出逢えた「福岡国際らん展」

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 先日、二年ぶりにらん展をみるためにヤフードームに行きました。らんの花じゃなきゃいやだ、なんてことはありませんが、花を見ると心が落ち着くので雰囲気は大好きです。場内のらんが咲き誇っているところは、リオのカーニバルのように華やかで賑やかな感じでいいですね。

 僕はカトレアの花びらが好きで、綺麗な色で「ひらひら」とした薄い花びらが、品の良いドレスをまとったオードリー・ヘップバーンのように見えるのです。東洋種のらんも数多く展示していましたが、僕には「わび・さび」の感受性と理解力が不足しているので、美しさも今ひとつというところ。

 平田ナーセリーの展示場に飾っていた「花の妖精」人形が可愛くて、ついカメラに収めました。欧州製でひとつひとつ手作りしたものだとか。そのフィギュア自体とても魅力的ですが、「妖精」という言葉にもひかれてしまいました。

 ジングルベルの音が聞こえてくると、「天使」という言葉が僕の頭に浮かびます。「天使の歌声」なんて、たまりませんね。「妖精」とか「天使」とか、男のくせに無垢で清楚なイメージがそんなに好きだなんて。人間は自分と対極のものを好むと言うから、きっと僕の心はクリーニングが必要なのかもしれません。今年もしずかに反省…。そして、チケットを下さったFさんに感謝。
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by hosokawatry | 2006-12-07 00:09 | やさしく歌って・自由日記

あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・8〜




                   8


 ふたつ目の議題だった「年末と年始の恵屋合同チラシ」の競合プレゼンには、社内コンペで勝った作品を持って行くことに決まった。社内の制作グループを5つのチームに分け、それぞれのチームが2案ずつ提出することになる。勝ったチームのために賞金も出ることになった。どうやら支店長のポケットマネーから出る賞金のようだ。

 社内に競争原理を持ち込むやり方に異存はなかった。負けたくない気持ちに火がつく。やる気を出させてくれる。ただ、手持ちの仕事量の多さを考えると少しばかり気が重いのも事実だ。当然、腰が引け気味のデザイナーやコピーライターもいる。
 しかし23才の僕や笠木君を含め、平均年齢26.7才の多くの制作マンたちは、けっして怠け者でも意気地のない人間でもなかった。一部を除いては、午後10時前に退社のタイムカードを押すことはなかった。それでも純粋に「いいもの」を作ろうと、みな目を輝かしていた。
 睡眠不足の脳を振り絞りデザインし、コピーを書き、大幅変更や誤植と戦っていた。そしてこの負けられない競合プレゼン。その精神的、肉体的負担は、夏休み最終日に3週間分の日記の空欄を埋めた、あの遠い日の記憶にも似ている。すでに頭の中では、ポールマッカートニーがロング・アンド・ワインディングロードを歌い始めていた。

 効かないエアコンと深夜のFM。「夜のしじまに…」で始まる城達也のナレーションが恋人になる。仕事後の屋台通いと翌朝の遅刻との戦い。これからしばらくの間、僕たちはさらに深く夜と付き合うことになる。そして夜の闇は「付合ってあげたわ」と、融通の利かないコールガールのようにキチンと見返りを要求してくるだろう。竹田さんの前髪に狙いをつけた時のように。

 そんな夜の闇に向かって、僕たちは若さ以外に差し出すものなど、何も持ってはいなかった。

 競合の広告代理店や印刷会社にプレゼンテーションで勝つのは、制作者としては大変な名誉だ。しかし営業面で考えると、売り上げとして貢献できる側面のほうが断然大きかった。年末や年始の合同チラシはそれひとつで、単独店の30回分のチラシ売り上げに匹敵した。一枚のチラシを作るだけで大きな売り上げを達成できるのだ。
 一攫千金のような効率の良さに、普段はチラシに手を出さない電広堂のような大手の広告代理店も、この時ばかりはと身を乗り出してくる。命運を抱えた様々な会社のゴールドラッシュが始まる。だが、チラシ作りを大きな柱にしている会社がチラシ媒体で負けるわけにはいかなかった。いいところ取りだけはさせたくなかった。特に、僕たちは昨年、年末合同も年始の合同チラシも電広堂に持っていかれた苦い経験をしたばかりだった。ボーナスも前年を少し割り込んだし、面白くなかった。

 ワタリ係長はミーティングの最後に、独断で3人構成のチーム編成を5組発表した。僕は三ツ谷さんと永野さんの二人のデザイナーと組むことになった。三ツ谷さんと永野さんはあまりしっくりいっていない。仲が良くないといった方が正しかった。ドライな性格で自分本位の仕事観を持つ永野さんと、仲間とのリレーションシップを大切にする三ツ谷さんは正反対の位置にあった。180度の性格の違い。カラーサークルのグリーンとレッド。横に並ぶとコントラストが強すぎてギラつく、補色の関係。
 笠木君が心配そうに僕を見た。僕は片方の眉を上げ、首を左右に振りながら目でサインを返した。少しばかり厄介な状況を招くかもしれない。ワタリ係長は僕の心配に気を留めること無く、それじゃ頑張ってくれと皆に声をかけた。

 ミーティングルームの窓にかかる緩んだブラインドが、不規則で弱い光のまだら模様を作っている。皆が出て行った部屋で、僕はそっとブラインドを押し上げた。いつの間にか晴れ渡っていた蒼い夏空に、黒い雲が広がり始めている。強い雨脚と落雷の予感。梅雨は依然として明けていない。
 「帰りはまた雨だわ」と事務の藤木女史は黒板の文字を消しながらポツリと言った。


 その日の午後、僕はチラシに使うモノクロ写真の紙焼きを、小林写真場に受け取りにいくため外に出た。明治通りには人が溢れていた。集団山見せが始まろうとしている。今日の舁き山は呉服町から期間中唯一、博多の町を離れて福岡部まで舁き入る。雲に遮られるようになった日射しは弱くなったが、蒸し暑さは変わらない。玉屋百貨店が正面に見える。僕はネクタイを緩め、見物客をよけながら中洲大橋の手前を下流方向に曲がった。そして川沿いを海に向かって歩いた。
 バレンタインデーのお返しにと、石村萬盛堂がマシュマロ・デーを発案したのは確か今年の春だった。僕は安売りをしないセールスプロモーションの理想像をそこに感じた。
 僕が恵屋に昨冬提案した、おでんコーナーの「でんグルメ・デー」作戦よりも100倍くらい洒落ていた。
 日曜日の夜はいつも頑張ってくれている母親に料理を休んでもらおうと、父親や子供でも簡単に作れるおでん材料の徳用セット販売を考えた。増量おでんネタと出汁のセットにおでん鍋が当たる応募シールを付けた。出汁を作るメーカーとのタイアップ企画としたが、恵屋本部の販促会議で没になった。
「でんグルメか、名前だけは面白いな」と久留米出身の販促部長が言ったと聞かされた。僕にはまだまだ修行が必要だった。小林写真場はホワイトデーの歴史を塗り替えることになるそのお菓子屋を越えて、さらに昭和通りを渡り、2、3分海に向かって歩いたところにあった。

 僕は小林写真場のガラスドアを開けて中に入った。現像液や定着液の刺激臭が充満している。ドアの開閉音と人の気配に、僕が声をかける前に暗幕がさっと開かれた。
「ああ、いらっしゃい。紙焼き出来上がっていますよ」と暗幕から顔を出して冨士さんが言った。   
 富士さんはピアニストのチック・コリアに似ている。暗室の中でのモノクロ写真の紙焼き担当だ。陽に当たるチャンスが少ないのに何故だか肌黒い。しかし親しみ度は抜群だ。口はいつも笑っているというわけではないけど、目はいつだって優しい。フュージョンを演奏しているが心はジャズを欲しているミュージシャンのようだ。「社長にはまだ言ったことはないけど、本当は撮影がしたいんだ」と僕に心の奥を話してくれたことがあった。心を許せる人だ。笑顔は作るけど目が笑っていない湯浦さんとは決定的に人種が違った。湯浦さんは心がコンフュージョンしている。
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by hosokawatry | 2006-12-02 10:23 | ブログ小説・あの蒼い夏に