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あの蒼い夏に 〜チラシづくりの青春・12〜



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 僕は白のボタンダウンシャツとクリーム色の綿パンを、身につけたまま寝込んでしまったことを後悔した。汗を吸い込んだシャツと綿パンが、静電気を帯びた化繊のようにしつこく身体にまとわりつく。身体がべたべたして気持ちが悪かった。喉が渇く。ウイスキーとタバコが混ざって変化した味に、口の中の嫌悪感も一緒に目覚めた。かすみからの手紙を読むためベッドに横たわっただけなのに、気がつくともう外は明るかった。目覚まし時計の短針はすでに文字盤の6を越えてしまっている。大切な時間を誰かに盗まれたような気がした。

 僕は声帯を無くした朝の鶏のように、心に泡立つ悔しさを表現できなかった。うんざりした気分でベッドを降りた。こんな気分には、神様は上機嫌でさいころを振ってくれるわけがない。リフレッシュしなくてはと思い直した。
 床に落ちていた便箋を拾い封筒に仕舞った。かすみのくるくる良く動く目と小さくて上を向いた鼻が浮かんでは消えた。
 僕は急いで服を脱ぎ捨てシャワーを浴び、今朝は食事の前に歯を磨いた。少しだけ気分が戻った。
 ドリップでコーヒーをたて、飲みながらトーストを焼いた。コーヒーの香りにパンの焼けた香ばしい匂いが混じり、広がり、部屋の王様になった。酸味のあるキリマンジャロをほんの少しすする。トーストしたパンにバターと辛子を塗り、ロースハムとスライストマトを乗せた。丸くなっているレタスの葉を両手で「パン」と叩いてその上に置いた。平たくなったレタスに黒粒こしょうと塩をふり、マヨネーズをかけ、もう一枚のトーストで挟み完成する。しかし、いつだってコーヒーはサンドイッチが出来上がる頃にはもうカップの底をついてしまう。僕の朝食にはいつもカップ二杯半のコーヒーが必要だった。
 最後のコーヒーを飲み干す頃には、自己嫌悪に満ちた最悪な気分からは解放されていた。

 FMのスイッチを入れた。ABBAのダンシング・クイーンがすぐに終わると、4オクターブの歌姫が「ラビング・ユー」を歌いはじめた。晴れたバレンタインデーの朝の方がお似合いだと思うが、七月十四日の朝にもラ・ラ・ラ・ラ・ラと爽やかにフィットした。新聞は今日の梅雨明けを予想している。そう言えばなんだか空が明るいし、湿度も下がっているようで良い兆しを感じる。そうこなくっちゃ。気分はもう100%を超えかけている。
 ベランダの外を眺めると、茶色のトラ猫がテニスコートの端をゆっくりと歩いていた。実家で飼っている雑種の猫「しぶ」によく似ていた。僕は猫を見ると幸せになれる。いい予感がした。気分は上々、120%を指している。気分をすぐに変えることが出来るのはシンプルな精神構造のせいに違いない。今朝は仕事をしなかった目覚まし時計から出勤の時間を告げられ、パタパタと西日本新聞を畳んだ。

 目覚めは最悪だったけど、結局僕はいつもより幸せな気分でアパートの鍵を回すことができた。
 バス停までの途中、いつものようにレンガ塀の家の前で足を止め2階の窓を見上げた。今日も女の子は待ち構えていた。僕は素早く今週3度目のチンパンジーになった。
 昨日の彼女は「い〜っ」という顔だったが、今日は「べ〜っ」という顔をした。ガラスの向こうで精一杯、舌を出している。僕は女の子に向かい、初めておはようと声をかけた。チンパンジーに声をかけられた女の子は瞬間、驚き、戸惑ったような表情を見せると同時に、窓ガラスからさっと姿を消した。そのまま立ち止まって窓を眺めていると、女の子はすぐに戻って来て、スケッチブックを開いた。人間の顔に似ているチンパンジーの顔がクレパスで描いてあった。
 そのチンパンジーの顔の絵はジョージ・ハリスンには似ていないので、当然僕には似ていない。僕は女の子のためにもう一度チンパンジーの顔を作った。クスクスと笑いながら二人連れの女子高生が横を通り過ぎていった。門扉から覗く赤いバラの花も笑って揺れた。

 今日も君の勝ちだ。

 途中、天神岩田屋前のバス停で、よろよろとおばあさんがバスに乗り込んで来た。朝の通勤ラッシュの時間帯におばあさんの姿は珍しい。車内は当然混んでいた。そのおばあさんに気づいた男子高校生が席を譲るために立ち上がろうとした。その高校生は部活で骨を折ったのか、腕をギブスで固めている。
 その瞬間 「俺が代ろう」とよく通る低い声がした。

 高校生より早く立ち上がろうと、急いで立ち上がったのは小柄だがパンチパーマ姿の怖い顔のお兄さんだった。シャツの下に入れ墨が見える。ちょうどその時、急ブレーキがかかりガクンとバスが大きく揺れた。立ち上がったばかりのお兄さんは大きくバランスを乱してしまった。
 お兄さんは一番近い人に、木に抱きつくような格好で咄嗟にしがみついてしまった。一番近くでつり革を握っていたのは大柄なOLだった。その女性は咄嗟の出来事にも声を上げることなく、パンチパーマの蝉にもひるむことなく、大きな楠のように堂々と立っていた。開いている窓からは明治通の街路樹にとまっている蝉の声がとびこんでくる。
 顔を赤くしたお兄さんは女性からさっと離れると、「こら〜、ちゃんと運転せんかい。年寄りとか怪我人が乗っとるとゾ。え〜っ、分かっとるとか」と運転手に怒鳴った。
 
 「あんた、見かけと違ってずいぶんいい男やね」とおばあさんがぼそりと言った。恐い顔のお兄さんはまた顔を赤くして、ボリボリと頭を掻いた。

 そのお兄さんは肩をいからせ、運転手を睨みながら中洲でバスを降りた。バスを降りても衣紋掛けが左右に揺れるように歩く後ろ姿が目に入った。少し恐い顔だったけど、僕はすぐに顔を赤くするお兄さんを好ましいと思った。正直者だ。人間がなくしてはいけないものを持っている。
 僕はその後ひとつ先の川端で降りた。かすみが手紙に書いていたピザがおいしい「エル・クレハ」の前を抜け、ポン酢で食べるもつ鍋屋「もつ幸」の先を冷泉公園に向かって道路を横断した。土居町通りの舗道沿いには提灯が並んでいる。提灯は追い山を迎える興奮を抑えながら、風にゆっくりと揺れていた。伝統は慌てない。



 朝礼で野瀬課長がアマゾン川流域の集落に靴を売りにいった二人のセールスマンの話をした。一人のセールスマンは、地域住民は靴を履く習慣がないからセールスは上手くいかないと思った。しかしもう一人は住民全員が靴を履いていないので、大きなチャンスだと思ったそうだ。 この話は有名な話だし解説はしないが、物事は前向きにとらえるようにと課長は大きな声で喋った。
 朝礼の後、永野さんに「今日夕方から恵屋年末年始の合同チラシの打ち合わせをしないか」と声をかけられた。僕はまだコンセプトもまとめていなかったので、来週の方がいいと希望を言った。



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by hosokawatry | 2007-02-12 19:54 | ブログ小説・あの蒼い夏に

暖冬のはかない抵抗、降雪2日後の立春は梅香る青空。

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 節分の前日は仕事で延岡まで車で移動。暖冬で緩んでいた精神も引き締めてくれるような高速道路の雪。筑紫野から先の高速道路がストップしているため、福岡都市高速ー九州縦貫(太宰府ー筑紫野)を利用しようと、高速に乗ったものの大渋滞。通行止めがやっと昼過ぎに解除されたと思ったら、今度は玖珠辺りから九重までが吹雪に。

 前のトラックのタイヤの跡がシャーベット状になっていくのを見ながら、高速道を60キロ前後で走りました。さすがに追い越し車線を走る車は少なかったようです。僕はハンドルを握っているわけではないのですが、それでも少しは緊張感に包まれます。九重を抜けると青空も覗くようになり、ホッとゆるみました。Yくん、お疲れさまでした。

 と、二日前の雪のことを思い出しながら、小戸公園を散歩しました。博多湾は、何だか春の海を見ているように靄っていて、玄界島もぼんやりと。近所の庭には真っ白の梅の花が七分咲き。確実に大きく狂ってきています。地球ではエルニーニョ現象よりもっと大きな問題が進行しているんですよ、ねっ、大統領。

 玄界島の県営住宅完成により、カモメ広場の仮設住宅に住んでる人の8割の帰島が、この春に始まるとのこと。よかったですね。「立春の日」のいいニュースでした。


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by hosokawatry | 2007-02-04 13:49 | やさしく歌って・自由日記