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あの蒼い夏に〜チラシ作りの青春・41〜


                    41

 「中洲の店を閉めます」とアナザーウェイのアザミさんが会社を訪ねてきた。二十一世紀最初の年だったことを憶えている。消費が停滞して、危険なデフレが進行していると多くの経済評論家が政府の取り組みを批判した。バブル経済の崩壊は経済用語から現実へと姿を変えて、僕達の業界にも行儀悪くにじり寄ってきていた。そして、陰気にじわじわと営業活動の隅々にまでまとわりついていった。
 そういえば、アザミさんの店にはもう何年も顔を出してはいなかった。つれないと思えても、自腹で行ける余裕はない。この数年、接待経費も絞られ、課長から承認印をもらえる回数は激減した。営業コミュニケーションの必要性を訴えても、そのほとんどは徒労に終わった。接待経費の直接影響下にある中洲のネオン街は、まさに強風下のロウソクの灯火だった。中州を愛する誰もが炎の次の瞬間を息を凝らしながら見つめていたが、どうすることも出来なかった。惜しまれながらのれんを降ろす店は絶えなかったし、性の境を越えて愛されてきたアザミさん店ももちろん例外ではなかったのだ。

 僕達を心底怯えさせたのはメインのクライアントの経営破綻だった。スーパーマーケット業界もバブル期までの積極的な投資が裏目に出て、景気低迷の中でもがき苦しんでいた。企業リストラを繰り返すわりには、効果は出なかった。大量出血を恐れた結果、本来の思い切った手術も出来ずにいたのだ。それらの経営陣はあまりにも人が良すぎた。いや、まだ温かすぎた時代だったと思う。
 我が得意先であった恵屋から漏れて来る情報もほとんどが暗いものだった。どんな分析結果にも、明るい未来は感じられなく、容態は想像以上に悪化していたようだ。売り上げの多くを恵屋に頼っていた僕の会社の運命も、時間の問題になっていた。そんな中、本社で行われる全社支店長会議から帰ってくる、僕の上司であるワタリ支店長の肩はいつも大きく落ちていた。「俺は撫で肩だからな」という支店長のジョークが虚しく響いた。

 若かった僕や笠木君達も、すでに五十歳に手が届く年齢に達していた。問題が起こると、とん、とん、とんと中指を立てて、イライラしながら机を弾いていた野瀬課長は既に定年退職していた。バブル経済が弾けて以来、ワタリ支店長以外の管理職社員の多くも早期退職を余儀なくされていた。そこをさらに恵屋の破産が追い討ちをかけた。
 恵屋のチラシ制作依頼がゼロになり、制作に携わる人間は一方的に不要になってしまったのだ。総務部のひんやりとした催促の掌が、容赦なく社員の肩に向かっていった。年齢が高くて、おおよそ給与が高い制作者の順に、「ご苦労様でした」の声をかけられた。
 仮に退職勧奨を受け入れても、年金支給開始年齢まではまだまだ長い。わずかな退職金を手に出来ても喜べるはずもなかった。大事な家族はもちろん、可愛いペットも含めての「生きていく糧」を得る為には、僕たちはこの先も働き続けなくてはならないのだ。
 しかし、この10年近く、取り巻く就業環境は最悪だった。湿りきった不況は就職への扉を錆び付かせ、僕たちの心にギシギシと重くのしかかっていた。扉の隙間から漏れてくるわずかな希望の光は弱々しく見え、特に中高年にはどこまでも頼りないものに思えた。そんな過酷な現実の中、社員は決断を求められた。 
 僕は少数の仲間と会社の再生を夢見て頑張ってみたが、思った以上に再生の道は険しかった。民事再生法が適用されたものの、結局、会社は二年後に断末魔の叫び声をあげてギブアップした。


 「今朝の新聞にね、求人広告が出てたみたい。あなたにちょうどいいかも」

 退社してちょうど三ヶ月が過ぎようとしていた。僕はメジャーリーグの試合中継を見ていた。TVの中の細身の日本人選手が美味くヒットを打って、ランナーをホームに帰した。どうしてこの選手はこんなに見事に期待に応えることができるのだろう。自分が持ち得ない「答えを出せる」能力に嫉妬した。
 僕はまだ今朝の求人欄には目を通していなかった。妻の言葉に「ああ」とだけ小さく応えたものの、TV画面から視線を切らずにいた。ただ、ゲームを決める大切なヒットに出会えたはずなのに、平日の午前中にテレビ観戦している無職の身には、やっぱり熱くなれるはずもなかった。煮え切らない毎日が続く。すべての旨味はオブラートに味を奪われている。

 先日もハローワークで、広告制作会社の求人を見つけたが、条件が合わなかった。ホームページ制作もできることが条件になっていたからだ。コピーライター出身のディレクターだったので、Macを使ったデザイン制作は得意ではない。パソコン操作が下手なデジタル避難民としてのキャリアが長かった僕の就職は、応募の入口で躓くことが多かった。
 一社だけデジタル制作の条件がなく、希望職種と合致する案件もあったが、あまりにも基本給が安過ぎた。もちろん、五十がらみの中高年に対する条件の良い就職口は「宝くじの当選確率」だと思わなくてはならない。そんなことはわかっている。しかし、それでも現実に支給されている失業給付金より少ない給与には、二の足を踏まざるを得なかった。 
 元気が出そうな情報が少なく、足げく通ったハローワークのパソコン閲覧の毎日にも疲れ始めていた。最近、粘りが欠けて来たのが自覚できる。だが、暮らしがある。家族がいる。そんな弱気は許されないのだ。勇気を持って現実を直視しなければならない。無職の身でも今日・明日はなんとか凌げるだろう。だが、必ず結論を出さなくてはならない日がすぐにやって来るのは判りきっている。すでに、現実の問題として、子供の大学生活にかかわる経費負担が重くなり始めていた。もうじき、愛猫のペットフードの質も落とさなければならなくなるだろう。先が見えにくい家計をやり繰りしている妻は、毎日明るく振る舞ってくれていた。「あなたも三十年近く頑張ってきたんだから、そんなに慌てなくてもいいわよ」と、再就職への負担を思いやる妻の存在に支えられたが、逆に男としてそれが何よりも辛かった。ここに答えを出せない情けない自分がいる。意地を張らずに、もう、職種を問うのは止めようかと本気で思い始めていた。
 
 「ねえ、ここ、ここ」と反応の鈍い僕の目の前に、妻が新聞求人欄を広げた。他の求人欄より大きめの枠内に「経験豊富な五十代のコピーライター求む」とだけ書いてある。会社名は「インビテーション」で、そんな名前の広告代理店や制作スタジオはこれまで聞いたことがなかった。少なくとも有名な会社ではないはずだ。所在地は中央区大濠にあるビルの中らしい。場所は一等地だ。
 その他、何の具体的な要望も条件の明記もなく、ただ委細面談の文字だけはしっかり書かれていた。僕は妻に「よく解らないけど、ちょっとだけ覗いてくるか?」と言った。「ダメもとだから」と心の中で呟くことも忘れなかった。
 一応、確かめるために電話を入れた。ご来社いただける日をお聞かせください。営業時間中であれば基本的に大丈夫ですが、ご希望の時間もご指定くださいと、電話の女性は丁寧に応えた。こちらの都合で面接の日時を決めることができるとは。僕はさっそく明日の午前十時に伺う旨を伝えた。電話をかけ終わると「経験豊富な」と書いてあった求人コピーを思い出した。永年勤めたけど、すべてのコピーライティングにおいての「経験豊富」には自信がない。スーパーや百貨店等の小売りにかかわるコピーライティングについての経験は豊富だったし、自信もあった。しかし、マス媒体を中心とするメーカーの商品広告やTVやラジオ媒体のコピーはかかわることがほとんどなかった。不安がよぎる。そのことについても質問されるだろうし、弱点をえぐられるのは嫌だったが、しかし、それはそれで仕方のないことだった。
 僕はいつもと同じように、また履歴書と職務経歴書を用意した。

 残暑の朝、僕は就職面接のためにマンションを出た。「お前の餌代、任しとけよ」と腹を上にして寝転がっている猫に一声かけ、妻にウインクをしながらドアを閉めた。今日一日、僕は明るく元気に振る舞わねばならない。自信があろうと、なかろうと、結果が出ようと出まいと、現時点での全力は尽くすつもりだ。それがいくつになっても男の意地ではないか、と思った瞬間、入社したての頃の課長の声が聞こえてきた。「長嶋だって、王だってヒットは三本に一本しか打てんのに。それを全打席ヒットにしようなんて、そりゃちょっとしんどいわな」懐かしい言葉に笑いがこみ上げてきた。三十年後もまた、精神的にも弱りかけながらも、まだ全力で「百パーセント」を尽くそうとしている自分がここにいる。頭の中で、永年付き合ってきた黒い悪魔が「もうお前には付き合いきれんよ。俺は負けたよ。ほんとうに諦めの悪い奴だ」と白旗を揚げた。「良いことがあるといいな」と悪魔が出した初めてのピースサインに、僕は笑ってしまった。

 目指す会社は地下鉄大濠公園駅の近くだった。背が高い黒色タイルの建物は、大濠の地価にふさわしい格調の高いビルだった。エレベーターの前で目指すフロアを確認し、僕はお目覚めのミーアキャットのようにきちんと背筋を伸ばした。これまでの面接と同じように、エレベーターのボタンを押した後、一度だけ深く息を吸い、呼吸を整えた。
 僕は受付で電子ブザーを押した後、気持ちの良い声の女性に迎えられた。すぐに、会社の応接室にしては重厚な感じのする部屋に通された。マホガニーの重そうなテーブルが置いてある。「社長より、こちらの部屋にお通しするようにと言われていますので」と笑顔は柔らかだった。その女性はすぐに社長が参りますので、と言った後、お辞儀をして部屋を出て行った。
 社長直々の面接など、久しぶりだった。新卒の入社面接でずいぶん昔に味わったような、緊張感の中で上気していく50才の自分が可笑しかった。出されたコーヒーカップを持つ手が少し震える。酸味が強いコーヒーだった。キリマンジャロかな、味覚の嗜好を知っているのだろうか。まさか。
 ビルの最上階のオフィスの広い窓越しに、午前十時の蒼い空が広がっていた。僕は窓越しに広がるパノラマに惹き込まれるように立ち上がり、窓辺に歩いて顔を近づけた。最上階からの眺望が眩しい。見渡して、見下ろした。眼下に大濠公園が広がっていた。キラキラと輝く水面と浮島に続く観月橋が見えている。池の回りの外周路をジョギングしている人がいた。その中に息を切らしながら走る自分を見つけたような気がした。思わず僕は息を飲み、その風景に見入ってしまった。
 大切な面接の前なのに、懐かしい記憶が一気に湧き出してきた。一九七七年、あの蒼かった夏の記憶が、外周コースのジョギングシーンに続き、次から次へと鮮明なシーンとなって一気に溢れ出てくる。
 
 ノック音がして、続いてドアノブの回転音が聞こえた。不意をつかれ、面食らったように慌てながら僕は我に帰った。すでに社長と思われる男性がドアを背にして僕の方を見ていた。「景色が素晴らしいので、このビルの最上階を借りたのですよ。大濠公園は想い出もあるし、絶対にこの物件しかないと思いましてね」。窓の外の光景に目を奪われていた僕は、ドア入口の近くに立つその男性の顔がシルエットのように黒く見えた。どんな人物なのか、よくは判らない。
 声をかけられた時、社長に背を向けていた僕は非礼を詫びて頭を下げた。
「いいえ、失礼していたのは私の方です、河村さん。こんなに遅くなってしまって」
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by hosokawatry | 2015-01-01 18:08 | ブログ小説・あの蒼い夏に